出る杭は打たれる

昭和も終わりを迎えつつあった1980年代末、どの雑誌かは忘れたが「Xデー準備計画仰天の内容」という記事が誌面を飾った。天皇陛下が亡くなったら国としてどのような取り組みをするのか、また国民や民間企業にどのような協力を求めるのかについて、例えばネオンサインは消すとか、娯楽番組やテレビのコマーシャルは放送を取りやめる。但し「謹んでお悔やみ申し上げます。○株式会社」などは認める、といったことが事細かに決められていた。

 

安倍元首相狙撃事件の一報を聞いたとき、最初に頭をよぎったのは今夜のテレビ番組に変更はないだろうかということだった。当夜は珍しく「小学5年より賢いの」、「デカ盛りハンター」と見たい番組が2つ予定されており、録画をスタンバイしていた。デカ盛りはそのまま放送されたが、小学5年は特別番組で吹っ飛んだ。さすがにBS放送の変更はないだろうと思っていたがBSフジの銭形平次が飛んでいた。

 

何を馬鹿なと言われそうだが昭和天皇が亡くなった時でさえレンタルビデオ店が大繁盛したと言う。親戚が亡くなった訳でもないのだからこれが普通の反応だ。

 

追悼番組を見ていると朝日/毎日と読売/産経ではっきり内容が分かれており前者は安倍政治の負の側面、後者は正の側面をやたら強調しているのが印象的だった。勿論両面あるのだろうが殺された人の悪口を言うのは「溺れた犬は棒で叩け」という何処かの国のようであまりいい気がしない。

 

チャップリンの言葉。

「もし私が貧乏な洗濯女の首にアイスクリームを落としたら大衆は同情するだろう。

ところが金持ち女の首に落としたら皆大笑いするだろう。」

 

もし、暗殺されたのが共産党の志位委員長や社民党の福島党首なら誰も悪口は言わなかっただろう。彼らは貧乏な洗濯女だから。

 

14時から犯人の母親がのめり込んでいた宗教団体が会見をするという。どこまで踏み込めるか。