何年ぶりかで週刊文春を買った。目的は勿論銃撃事件。驚いたことに山上容疑者の父親は転勤族で彼が生まれたとき一家は和歌山の下津町に居たという。当県とも全くの無関係ではない訳だ。
6/26書きかけの文を改訂。
子供の視力が年々低下している。
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20220624-OYT1T50240/
このブログの第一回に書いたのは小学3年か4年のホームルームの出来事だった。担任の先生が全員に紙を配りこう言った。
「今からクラスの誰かに宛てて手紙を書いて下さい。その手紙にはその人の良い点、直して欲しい点を書いて下さい。自分の名前は書かなくて結構です。」
宛先を決められている訳ではないから複数の手紙が届く人も居れば、一通も来ない人も出てくる。果たして今こんなこと出来るだろうか。幸い?私には2通届いた。子供心にも嬉しかったのだろう、今でも文章、字体ともはっきり覚えている。
ひとつは私のような字にセンスのない人間でももっと真ん中に書けよ!と言いたくなるほど隅っこに小さな文字で書かれていた。
良い点は
「あなたはとても親切です。」
直して欲しい点は
「少し内気すぎて良くないのでは。」
もう一通は先生の板書のような綺麗な文字で書かれていた。
良い点は
「目がすてきですね。」
直して欲しい点は
「もう少し優しくなってください。」
書いていて恥ずかしくなるが、本当のことだから仕方がない。今は歳のせいで瞼も垂れ下がり往年の面影は無くなりつつあるが。でもそのつぶらな瞳は孫に引き継がれている。
目が素敵なだけでない(笑)、私は視力も良い。もうすぐ、来週には63歳になるが生まれてこの方、眼鏡というもののお世話になったことがない。老眼とも無縁だ。今でも視力1.0以上はあると思う。
ロザンの宇治原さんは学生時代、テストでなぜ皆が100点を取れないのか不思議で仕方なかったという。他にこれといった自慢できることない私だが視力に関してはこの言葉がピツタリ当てはまる。私は視力が良くないということが理解できなかった。あの視力検査表、あの一番上の私から見れば特大寸法の文字が読めないということが理解できなかった。また家族も姉が一時仮性近視になっただけで両親も視力が良かった。身の回りに近視を理解する環境がなかったのだ。
このことが後にどれだけ大きな悔恨をもたらすか、残念ながら昔の私は気付いていなかった。詳細などとても書けないが、視力のニュースを聞くと嫌でも思い出してしまう。