しあわせ

山上容疑者の母親は息子が大変なことをしたことは詫びているが統一教会の悪口は一切口にしていないという。こんな奴の肩を持つことは何もないが夫を自殺で亡くし、長男が小児がんになり失明、という余りに過酷な経験から、なにかの力にすがりたくなる気持ちは分からないではない。こんなことがきっかけで家庭をほったらかしたり、多額のお布施(献金)を納めることは他の宗教でもあるだろう。

 

ただ、なぜそれが家や親の遺産まで処分してまで一億円もの献金に繋がるのかそれが理解できない。最初は100万円納めた、だが不幸は止まない。ならばと200万円納めた、まだ不幸は止まない。こんな具合にエスカレートしていったのだろうか。

 

先日引退を表明した羽生結弦選手は子供の頃からとにかく負けず嫌いで放っておけば出来るまで何時間でも練習を止めなかったと恩師が言っていた。週刊誌によると山上容疑者の母親は大阪市大卒、妹は更に優秀で開業医とのこと。これは全くの想像だが子供の頃から妹に負けまいと一生懸命努力する子供時代を過ごしたのだろう。羽生選手と結果は180度違ってしまったが根底の性格には似たものがあるのかも知れない。

 

その点、人並み以上の努力を出来ない代わりに人並みの結果で満足出来る凡人に生まれたことを我々は感謝するべきなのかも知れない。「自分はもっと勉強すれば○大学に入れたんだが。」こう言えているうちが花だ。

 

 

県民幸福度上位常連の福井県のキャッチフレーズ

 

し しごとができるしあわせ

あ あそぶ場所が近くにあるしあわせ

わ わ(つながり)に支えられているしあわせ

せ せいかつが充実しているしあわせ

 

しごとができるしあわせ、ではなく、しごとをしなくてもよいしあわせではないのかツッコミたくなるがそれは別にして、幸福度にせよ、魅力度にせよ「足るを知る」県民性が大きく影響しているように思う。人目にはどれだけ恵まれているように見えても満足しない人間も居るだろうし、その逆も然り。

 

国民幸福度ナンバーワンはブータン王国らしいが我々がブータンに行けば幸せになれるか、は別問題だ。

 

山上容疑者の母親も確かに不幸な出来事に見舞われたがならば生き残った自分たちだけでも普通の人生を送ろうと思わなかったのか。それだけの財産が充分にあったのに。