作者が言いたかったこと?

和歌山県で1番と言われる進学校に入って最初にショックを受けたのは最初の定期テストで1課目だけ平均点を下回っていたことだ。中学までは平均点なんか気にしたこともないし、それどころかわざと間違った答えを書いて「やっぱりあかんかったか。」とほくそ笑む茶目っ気もあった。

 

例えば小学○年の算数の問題。1/10より大きく2/10より小さい分数を3つ書きなさいという問題が出た。私は1.3/10、1.6/10、1.9/10と回答した。先生はご丁寧にも「なるほどよく考えたね。でもこんな分数はない。」と書いてくれていたが、そんな分数がないことなどとっくにこちらは承知済み。

 

標題の「作者の言いたかったこと」なども同様だ。自慢じゃないが私はこの手の問題で正解したことがない。作者の言いたかったことなど作者にしか分かる筈がない。だから本当にこれだ、という正答などないのが真実だろうがそれでも一応模範解答らしきものは存在する。

 

どんな問題、解答だったか正確には覚えていないが川端康成の「伊豆の踊り子」でやはりこのとき作者は〜という問題が出た。私は「男扱いに慣れた踊り子がうぶな学生をもて遊んでいる様子。」と書いた。常識的に考えても中学のテストで男扱いやもて遊ぶなんて言葉そのものが使われるはずもない。勿論間違いにされた。

 

いくつも経験した同様の問題で何故この時の事を覚えているかと言うとテストを返し終わった後、先生がわざわざ私の元に来て「先生も読めば読むほど○君(私)の考えに思えてきた。」と耳打ちしてくれたからだ。何気ない学生時代の1ページだが私も感動したのだろう、不思議に今でもあのときの光景はよく覚えている。まさに今年教員としての生活をスタートした息子よ、聞いてるか?

 

少し前のブログで芭蕉の「おもろうてやがて哀しき鵜舟かな」という句を引用し、息子がイルカショーを見て涙が出てきたという心象風景と重ね合わせた。ところが肝心の私のこの句の解釈がどうやら定説と違っていたようなのだ。定説は各自で調べて欲しいが私は人生でたった一度きり有田川の鵜飼を見たときの印象で解釈していた。

 

それは最初は鵜飼の繰り広げる気の合ったショーに感心する。しかし見ている内にあれだけ一生懸命魚を獲っても紐で首を締められているので小魚一匹すら食べられない、でも人間の指示でお仕事せざるを得ない、そんな鵜に対する同情心が湧いてきて哀しくなる、そういう意味だと信じて疑わなかった。同様に息子がイルカショーに涙したのもあれだけ人間の指示通り飛んで跳ねての芸を披露しても貰えるのはアジかイワシ2、3匹。そんなイルカに同情して泣けてきた。私と同じだ。勝手にそう思い込んでいた。

 

俳聖芭蕉先生、先生のお考えはどうですか?