名言を言い換える

オリジナルの名言はこれらしい。

 

https://meigennavi.net/word/01/013003.htm

 

冬の太陽は光を与えるが暖めはしない。この表現は見事だが果たして老人の忠告がそれにあたるのか?経験を経た言葉だからこその重みがあるの場合もあるのではないか。

 

私はこの言葉をこう言い換えた。

「継母(まま母)は冬の太陽だ。明るくはするが暖かくはしない」

これ、なかなか言い得て妙ではないか。

 

いとこの継母が亡くなった。享年86。昨日のお通夜、今日の告別式に参列してきた。

 

いとこ、正確に言えば私よりひとつ上の男性、ふたつ下の女性。今はふたりとも可愛い孫に囲まれ幸せな生活を送っているが、実親と早く死に別れるなどその前半生は不幸の連続だったと言わざるを得ない。

 

何十年も前のことなので正確な年月は覚えていないがふたりが小〜中学生の時、母親が急な病で亡くなった。私はその頃空手を習っていて、夕方稽古に出掛ける前おばさんがお腹が痛いと言って入院したと聞いたが、2時間後帰って来ると亡くなったとのことであった。

 

程なく、おじさんは再婚。農業だけでなく不動産業にも手を広げるなど、やり手だったので老親ふたりと子供の為にも必然性のある再婚と思えた。再婚後の夫婦仲がどうだったのかは知るよしもないがおじさんは家庭内で絶対的な権力者だったので不平不満があったとしても口にする者などなく、表向きは平穏に見えた。

 

しかしその平穏も長く続かなかった。今度はおじさんがガンに冒され、数か月の闘病の後に亡くなった。ひとつ上のいとこがその為大学進学を諦めたのだから夫婦でいた期間は5、6年だった。それから40年余、継母が亡くなった。ふたりのいとこにとって一番長く接した家族がこの継母になった。

 

うつかりしたことは言えないが継母にも、またいとこにとって不運だったのは夫に早世されたことも勿論だが嫁いだ時、子供がちょうど思春期だったことで懐くには齢を取りすぎ、親は親、子は子と割り切るには余りに若かったことだ。

 

いとこにとって、また継母にとってこの40年は何だったのか。どちらかにでもこの間幸福な時期はあったのだろうか。継母は夫の死後実家に帰るという選択肢はなかったのか、そう思わせるほど最期までしっくりしていなかったように見えた。

 

私の造語も作り直す必要がありそうだ。

「継母は冬の太陽のようだが、時には曇天の太陽のこともある。明るくも暖かくもしない。」