黒澤明監督の名作「生きる(1952)」はガンであることを悟った役所の課長が生まれ変わったような人間になって公園の建設に邁進するストーリーだ。
ガンを悟ったと書いたが70年前のガンは文字通り死の病。医師は勿論病名は言わない。
「軽い胃潰瘍ですな。」
「何でも好きなものを食べて結構ですよ。」
悪いことにその後立ち寄った酒場で相席になった客に軽い胃潰瘍と言われたら間違いなくガン、何でも食べてよいと言われたら余命は長くないと教えられ愕然とする。
私が初めてがん検診を受けたのが20数年前だから「生きる」から50年近く経っていたが、まだその時は問診票に「もしガンが見つかった場合告知を希望しますか?」という設問があったように記憶する。
それから20年後の現在・・・。
件の友人と会って話をした。噂には聞いていたが何の断りもなくいきなりガンであることを告げられたらしい。ステージも。
彼の気持ちは想像するべくもないが、もし私が彼の立場なら何を思い、何をするだろう。今は検索すれば無限に情報が手に入る。有益なものも多いだろうが、同時に5年後の生存率などという想像するだけでも怖ろしいものも目に飛び込んてくる。「怖いもの見たさ」という言葉があるが私ならクリックする勇気はあるだろうか。
大体平均余命と一口に言うが患者の年齢、持病のあるなしでも大きく変わるはずだ。表現は悪いが老人は体力も抵抗力もない。持病も多く持っている。そんな人たちも入れての余命だから我々ならもっと長く生きられるに違いない!
と、ここまで書いてハッとした。私達は既に若者では、いや中年ですらないのだ。
嗚呼。