過疎も密集も困る

2年前の秋、大阪でタクシー運転手をしているHさんと九州へ旅行した。往復のフェリーで各一泊し、現地では由布院温泉に宿を取った。素泊まりだったので夜は駅前に食事に出掛けたが、コロナのせいか街は静まり返っていた。ようやく見つけた店でコロナ前の様子を聞くと外国人観光客が増えてからのここ数年はとにかく凄い人出だったという。由布院は昔から人気の観光地だったがそれでも冬は結構暇だったらしい。

「それがあの人たち(外国人)は年中来るんですよ。こんなとこ、冬に来ても何もないのにね。」女将は苦笑いしながら言った。

 

私は今かなり強く反省している。せっかく滋賀県に20年以上も住んでいたのにもっと京都を巡っておくべきだった。関西に住んでいると京都のネームバリューを意識することは少ないが他の地方の人からは非常に強い憧れを持って見られている。それが証拠にBS番組(基本全て全国ネット=東京制作)に京都を取り上げたものがどれだけ多いことか。

 

私の父が鎌倉に旅行したとき近くに京都があるのに何故こんな所に来るのか聞かれたと言っていた。そんな馬鹿なと思っていたが私も鎌倉でそっくり同じことを言われたのには驚いた。それほど他の地方に住んでいる人の京都への思いは大きく、重い。

 

じゃあ今からでも京都に行けばいいじゃないか。滋賀県よりは遠いが他の地方の人に比べれば近いではないか。確かにその通りなのだが今ひとつ気が向かない。暇は充分にある。金も充分かは分からないが京都に行くくらい問題はない。

 

気が進まない第一の原因は京都のあまりの人の多さだ。とてもではないがゆっくり古都の風情に浸るなんて感じではない。どんな観光地にも人の少ない穴場はあるものだが京都に限ってはそれがあるのかも疑わしい。

 

第二の理由は人出だけでない京都の質的な変わりぶり。これについては次の回で述べる。

 

 

イテウォンでの大惨事。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221030/k10013874791000.html

 

正直ハロウィンの馬鹿騒ぎは前から苦々しく思っていたので少々の事故なら「ざまあみやがれ」と思わなかったと言えば嘘になる。しかし今回の圧倒的な被害の大きさの前では黙らざるを得ない。

 

事故直前の映像を見てひとつの記憶がフラッシュバックした。30年以上前初めて祇園祭に行った時のこと。当時勤務していた滋賀県の職場を定時退社し、地下鉄四条駅に着いたのが19時頃。電車内は少し混んでいるなという程度だったが改札を抜けて驚いた。地上に上がる階段が満員すし詰めでうんともすんとも動かないのだ。

 

押し合いへし合いしながら何とか外に出ることが出来たが、もしあの階段でイテウォンと同様の雪崩れのような人崩れが起きていたらと思うとゾッとする。けして大げさではない。あの日イテウォンに集まっていた若者たちもまさかこんなことになるとは夢にも思っていなかったに違いないのだから。

 

映像を見ると結構外国人も多い。それまではこんなに多くの人が集まることもなかったろうが。今祇園祭はどうなっているのだろう。

 

一方私たちの居住区域は人も催しも減るばかり。子供の頃は近くの公園に夜店が出たり、盆踊りが行なわれたりしたがここ何十年何も見たことがない。

 

人が密集し過ぎるのも困るが過疎はもっと困る。貧富の格差も拡大。都会と地方の格差も拡大。政治は何をしているのか。