私がやり取りしている年賀状はここの処40枚前後で安定している。一番多かった頃より半減。元々虚礼には抵抗があったのだが減らすに当たっては次の方法を取った。先ず前年の元旦に賀状が届かなかった相手には出すのをやめた。次の年以降に来ても無視した。よく忙しいので書く暇がなかったと言う奴がいるが、そんなことを言う時点で人間失格だ。前にも書いたが忙しいとは心を亡くすということ。そんな奴と関わりを続けてもろくなことはない。
次に毎年毎年賀状のやり取りだけで何年も会っていない人(歳を重ねればそういう人が増えていくものだが)からもし又会う機会があっても会いたいとは思わない人をカットした。
従って今年賀状をやり取りしているのはチャンスさえあればまた会って一献傾けたい人ばかりだ。大半が滋賀県時代の同僚か研修センターでの同期生、皆私より年長なので今年こそ、と思いながらまだ果たせていない。来年こそは!
門松は冥土の旅の一里塚〜
https://imidas.jp/proverb/detail/X-02-C-06-4-0019.html
年末年始の風物詩と言えば年賀状も同様だ。文面では「あけましておめでとうございます」と書いてはいるが一年一年人生のゴールは近付いていることに違いはない。その内容も学生〜独身時代の無邪気なものから、結婚しました、子供が出来ました、家を建てましたと続き、今は孫が生まれましたに至っている。次の大きなステージは17年後の金婚式。果たしてその頃まで元気でいられるだろうか。
昨日今年初めての喪中ハガキを受け取った。多い年は数通受け取ることもあったが期日からしても今年はこれ一通だけだろう。聞くと妻にも今年は2通しか来なかったらしい。
(話は変わるが喪中ハガキには誰が亡くなったのかとその人との関係を明記して欲しい。喪中につき、だけだと親が亡くなったのか他の家族が亡くなったのか分からない。)
喪中ハガキが減ったのは他でもない、我々世代の親は殆ど死に絶えたのだ。と、すると次はいよいよ本人の番か。
いや、勿論そんなことは望んではいない。まだまだ長生きして孫の成長を見届けたいし、余裕があれば彼らの1台目の車を買ってやりたい。だがあまり長生きすると今度は逆行きの喪中ハガキを受け取ることになる。逆行きとは親より先に子供が亡くなること。実際家の母親(89歳)にも逆行きの喪中ハガキが何通か届いていた。中には親が100歳、亡くなった子供が70歳というものもあった。
これはこれで辛いだろうなあ。