恵まれているが故に

チャップリンが映画界にデビュー、あっという間に世界的な人気を博し、アメリカでも指折りの大金持ちになるのに時間はかからなかった。その破格の金額が記された契約書を見て何故かチャップリンの眼には涙が込み上げてきた。

「こんな凄い、今まで見たことのない大金が眼の前にあるのに僕には欲しいものが何ひとつ思い浮かばない!」

 

そこには明日のパンの保障もない貧しい育ちをした自身への憐憫ともっと早く稼げていれば母親に楽をさせることが出来たのにという悔悟の念が入り混じった涙だった。

 

電車男」の再放送が今日終わる。

https://www.daily.co.jp/gossip/2023/04/23/0016275786.shtml

 

本放送の時に見逃していた私は本作の第1回を見てこれは絶対ディスクにコピーして永久保存すべき作品だと確信した。普通に面白いドラマは数多くある。だが番組の初回を見ただけでここまで感じさせる作品はそう多くはない。あくまで私の意見だが他には「ショムニ」と「女王の教室」(何れも第1シーズン)くらいだ。「白い巨塔」も勿論見応え充分のドラマではあったが、あれは制作当初から特別扱いされることが約束された作品、いわば東大卒のエリートのようなものであまり好感は持てなかった。

 

保存する、ディスクにコピーするということは当然また2回も3回も見直すということを前提にした行為だが果たしてもう一度「電車男」を見返す機会は訪れるだろうか。

 

子供、いや家庭用のビデオが普及した20歳頃までテレビ番組をもう一度見ることは夢のまた夢であった。チャップリンの映画をもう一度見ることができたら、黒澤明羅生門を、七人の侍をもう一度見ることができたらどんなにか素晴らしいことだろう!

 

今これらの作品は全て我が家のブルーレイレコーダーに収められている。見ようと思えばいつでも見ることが出来る。録画機も進化し、画質も音質も飛躍的に良くなった。それにテープ録画の時は先ず録画したテープを探し出し、見たい番組の頭出しをするのがひと手間だったが今は番組名が一覧表示されるので何の手間も掛からない。

 

では私はそれらの映画、ドラマを2度、3度と反復して見たことがあっただろうか?殆ど無いのである。なんと勿体ないことか。

 

音楽もそうだ。私がクラシック音楽を熱心に聞き始めた50年ほど前、新譜のLPレコードは1枚2200~2800円程だった。50年前の、である。簡単に手を出せる金額ではない。幸い古い録音の往年の名盤が廉価盤として販売されていたがそれとて1200~1500円。私は月に2枚の廉価盤を買うことを何よりの楽しみとし、使い古された表現だがそれこそ「穴のあくほど」熱心に聞き、それらは今の私のかなりの部分、大きな血となり肉となっている。

 

それが今はどうだ。発売当初こそ3500~4200円とレコード以上に高価だったCDはその製作の簡便さ、また輸入盤、海賊盤の乱入によりあっという間に値を下げ今や輸入盤セット物の中古品だと1枚当たり100円を切るものも珍しくなくなった。今でも覚えている。私が清水の舞台から飛び降りる思いで最初に買ったCDのひとつ、フルトヴェングラーベートーヴェン第九のCDは3500円だった。それが今は同じ指揮者のベートーヴェン交響曲全集のCDが輸入盤だと5枚組1000円程度で買える。今でも絶大な人気を誇り比較的値下がりが少ないと思われるフルトヴェングラーのCDですらこの下がりようだ。

 

20年ほど前、私は所有していたレコードの大半を雑誌の読者コーナーで知り合った京都の方に譲り渡した。学生時代以来熱心に熱心に買い集めたつもりだったがそれでも全部で200枚ほどだったのではあるまいか。今我が家にはおそらく1000枚を大きく越えるCDを所有しているがその内2回3回と繰り返し聞いたものが果たしてどれだけあるだろう。上の例ではないがセット物の中には一度も聞いていないものも何枚かあるかも知れない、いや、ある。

 

高かったから熱心に聞く、安かったから放っておいても心が痛まない。一概にそうは言えないだろうが恵まれ過ぎているが故にその有難みに気付かないことは本当に勿体ないことだし、申し訳ないことだ。

 

よしっ、明日からは毒にも薬にもならない番組や音楽を聞くのを止めて、名作映画やまだ聞いていないCDを聞くことにするぞー!

 

今から掛け声倒れになるような気がする。