生きてきた歳月の重みを思う

ブラックマヨネーズ吉田敬さんはもっとも好きな芸人のひとりだが彼が一時よく使っていたのが「吉田世代」という言葉で彼によるとイチローSMAP稲垣も吉田世代ということになるらしい。

 

では私は何世代になるのだろう。残念ながら生年も学年もピッタリ同じという中にはイマイチこれっと言った大物が見当たらない。生年が同じだが学年がひとつ上なら山口百恵さんが居るし、何と言っても同学年で生年がひとつ下には天皇陛下がいらっしゃる。自分のことを天皇世代と呼ぶのは甚だ恐縮の至りだが天皇陛下が皇太子時代の確か44歳の誕生会見でこんなことを話されていたことが今でも印象に残っている。

「私の年齢の時、祖父の昭和天皇終戦という大変重い決断をした。」

うわあっ、そうか。(当時の私と)同じ年齢の時にそんな重責を背負われていたのか。私なんか家での発言権も甚だ心許ないのに。

 

 

最近、NHKで昔のドラマが再放送されることが多く、最近も鶴田浩二さん主演の「男たちの旅路」が大変見応えのある番組だった。こんなのを見るとニュース以外は再放送で充分と思えてくる。先日見た回には名優志村喬さんのこんなセリフがあった。

「1923年私はロンドンに駐在した、第一次世界大戦後のイギリスは・・・。」

 

第二次世界大戦ですら殆どの国民の記憶にないのに第一次世界大戦なんて、と思ったがこのドラマが砲されたのが1977年。その頃75歳くらいとすれば1923年は丁度20歳過ぎ。海外赴任していても何の不思議もない。しかも1977年といえば私は高校三年生。必死に?受験勉強していた頃だ。

 

そうか。私の高校生時代はそんな時代だったんだ。そりゃ歳を取る筈だ。

 

昭和天皇の最晩年、とても行事に出られるような体調ではないのに「これだけは何があっても出席する。」と入院先から直接お出ましになった終戦記念日の式典。今は未亡人の世代すら殆ど居なくなったが私の記憶では息子を戦争で亡くしたという親世代の出席も数多くあったからな。

 

改めて自分の生きてきた歳月を思う。