今際(いまわ)の時

小泉八雲の怪談にこんな話があった。

タイトルや詳細な内容は覚えていないが、概ねこのような粗筋。

 

舞台は処形場。今にも首を撥ねられようとしている罪人が叫んでいる。「俺はやっていない。もし、このまま死刑になったら絶対幽霊になって化けて出てやる!」それに対し奉行、平然と「幽霊などおらん。もしおると言うのなら首を撥ねられた後、そこの庭石に齧り付いて見せろ。」、「よし、分かった。絶対に齧り付いてやる!」

 

白刃一閃、首が転がった。するとその今撥ねられたばかりの首が2回、3回と転がり、ぽんと跳ね上がったかと思うと何と庭石に齧り付いた!

 

これは絶対祟りが起こるに違いないと皆騒然となる中、奉行だけが平然としている。理由を聞くと「俺はあの男に庭石に齧り付くことを命じ、彼はその事だけを念じながら死んでいった。だから他の事など覚えていない。」

 

それで実際何も起こらなかった。というのがオチ。人間心理として実に興味深い。

 

和歌山市のひき逃げ事故で自転車の男性死亡。

https://news.yahoo.co.jp/articles/37187aa9127dc8013e2a8696fedc599b06378541

 

被害者も加害者も私に近い歳。一番心の痛むケースだ。早朝のまだ暗い時間帯、気付かなかったというトレーラー運転手の言葉も嘘ではあるまい。

 

自転車に乗っていた人はちゃんと信号を守っていたらしい。この人は今際の時に何を思っただろう。

 

一方、私も日頃の移動手段は専ら自転車。こちらは信号を守らない事も多い不良運転者だ。

 

もし、私が信号無視をしている時に事故に遭ったら何を思うだろう。私の事だ「しまった!過失割合が不利になる!」などと思いながら今際の時を迎えるのだろうか。

 

あー嫌だ。明日から信号は厳守しよう。