池江璃花子に五輪辞退求める声

地方民の僻みかも知れないが中央偏重の報道には前から腹を立ててきた。東京の大雨や電車の遅れをニュース番組の全国枠の時間で伝える必要があるのか。そんなものせいぜい関東のローカルニュースで充分ではないか。

 

基本的に中立であるべきNHKもディズニーランドは名前で報じるくせにアドベンチャーワールドを「白浜町の動物公園」と言うのは何故か。それならディズニーランドも「千葉県の遊戯施設」と言うべきではないのか。

 

スポーツについても同様だ。選手が東京都民だと報道の扱いが格段に大きくなる。少し前には早実時代の清宮幸太郎選手など甲子園の大会でもない地方の試合なのに今日はヒットを打ったとか打たなかったとか。清宮選手以上の逸材はいくらでも居たが、例えば大谷選手の高校時代の戦績など、どれほど報じられただろう。

 

https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/swimming/news/202105070001212.html

池江璃花子選手にオリンピック辞退を促す書き込み。

 

卑怯なことをする本当に困った連中だ。これも無記名で自由に発言できるネット社会の負の一面か。

 

どのサイトを見ても池江選手が病み上がりだから辞退を促されていると書いているが、私は彼女が東京都民だからというのも大きく関係していると思う。報道番組やワイドショーで「池江選手がオリンピックで活躍する姿は見たい。でも今の感染状況を見ると中止して欲しい。」というコメントを何回聞いたことか。

 

確かに退院後の彼女の努力、その後の戦績は素晴らしい。しかしこの間の報道の加熱ぶりは少々過剰ではなかったか。そしてそれは彼女が東京都民であることと無関係とは思えないのである。

 

オリンピックで活躍する姿なら本来全ての(日本)選手を見たい筈だがわざわざ池江選手の名前を出す。コメンテーターにも東京都民への身贔屓、忖度かあったのではないか。

 

そのことが今回裏目に出て彼女に辞退を求める書き込みが押し寄せている、と私は思うのだが如何だろうか。

栄枯盛衰、ここにも

県庁の前を通ると前にも見かけた反イルカ漁の連中がマイクを持って叫んでいた。そんなご時世でもあるまいに。皆足早に通り過ぎる中で、私は彼らから声を掛けられることを願って横の掲示板やらプラカードをずっと見ていた。5分以上居たが結局声を掛けられることはなかった。

 

もし声を掛けられたら?反論する気も論争する気もない。そんな元気はとっくに失った。私が言いたかったのは「ここや国会前でどれだけ叫ぼうと構わない。ただ現地(太地町)で騒ぎを起こすのだけはやめてくれ。」それだけ。そりゃそうだろう。太地の漁民は法律で認められているから漁を行っているだけ。彼らに文句を言うのは時短要請を守っている飲食店にクレームするようなものだ。

 

 

私がもし松下電器の採用試験に受からなかったら行っていた(と言うか他に受けていない)オンキョー株式会社については前に触れた。当時音響三羽カラスと言われたパイオニア、トリオ、サンスイに比べると地味な会社だったが、上記3社が倒産、買収の浮き身に会っているのにオンキョーは何とか持ちこたえていることも。

 

何十年か前、当地和歌山にもレコード店がいくつかあった。なんと言っても大きかったのはイワキレコード、県内のみならず大阪にも出店していた。ブラクリ丁の本店は大袈裟でなくタワーレコードのような華やかさがあった。秋ひとみさんがミニコンサートを開いていたことを後日知った時の悔しさと言ったら!

 

私がよく通ったのは壇上楽器店。クラシックレコードの品揃えが豊富だった。指揮者のポスターも何枚か貰った。閉店後も店の建物は空き家のまま。チョビ髭のマスターはお元気だろうか?

 

これら2店に比べ石井楽器店は地味な存在だつた。品揃えも演歌やカラオケが大半で店の雰囲気ももっさりしていた。

 

あれから云十年。イワキも壇上も今は無い。石井楽器店のみ健在だ。最近では某パン屋さんと協働で賑わっている。

 

明日のことは誰にも分からない。

オリンピックより子供の運動会が見たい?

恥ずかしながらたった今知ったトピック。

https://twitmag.com/article/1387046917423521793

関西弁で言えば「しょうもないことを言うものだ」と思う。医療関係者や甚大な被害を受けている観光業、飲食業の方が「これ以上感染を広げないためにもオリンピックを中止してください」と言うのなら分かる。私も全面的に賛同する。しかし子供の運動会を見たいというのは完全な親のエゴてはないか。親が見に行く運動会といえば幼稚園か小学校くらいだろう。それよりもオリンピックを見たい国民の方が遥かに多いのではないか。

 

偶々つぶやきの例え話がうまかっただけでそれに簡単に乗っかる読者も情けない。「オリンピックを見るより東京のおばあちゃんに会いたい」、「オリンピックを見るより大阪の孫に会いたい」、「オリンピックを見るよりミナミで朝まで呑みたい」・・・苦情・文句はいくらでも言える。皆我慢しているのだ。

 

ある町によく鳴く犬を飼っている老夫婦が居た。自治会の役員が苦情を伝えに行くと「私たちも子供の騒音を我慢している。」と反論された。これ、実際聞いた話。

 

以前「保育園落ちたニッポン死ね」というこれまた親のエゴ丸出しのつぶやきがあった。当時の安倍政権の拙い対応もあり、大騒ぎになったが私ならこう答える。

 

「質問の趣旨以前にこの文章は少し乱暴に過ぎないか。ニッポンとは何を指しているのか。憲法でニッポンの象徴は天皇陛下だがそういう意味か。外国と比べそんなにニッポンは駄目な国か。死んで欲しいくらい嫌いなら他所の国へ出ていけばいいではないか。」

 

私も子供はかわいい、孫もかわいい。でも日本には子供のことなら何をしても許されると勘違いしている親が多過ぎる。

 

そんな振る舞い、結局は国のためにも親のためにも、ひいては本人のためにもならない。

 

 

ゲイツ氏妻 6兆円を手にするなら

昭和43年(1968)というのは大きな出来事が相次いだ年で、ビーモンが驚異的な世界記録(走り幅跳び)を出したメキシコオリンピック川端康成ノーベル賞、飛騨川バス転落事故など今でも記憶に鮮明だ。

 

そんな年の暮れ「三億円事件」が発生した。私が小学生だったからというだけでなく、当時の日本人にとって億という金額は全くの別世界のものではなかっただろうか。当時1億円預金すると利息だけで500〜600万円。失礼ながら父親の年収を大きく上回っていた。

 

 

ビル・ゲイツ氏離婚。財産14兆円。

https://www.sponichi.co.jp/society/news/2021/05/05/kiji/20210505s00042000074000c.html

 

三億円事件から40年以上経つが、流石に兆は未だにどんな金額か見当もつかない。僅かに住専問題で辣腕を振るった弁護士の中坊公平さんが講演の「掴み」に使っていた話で概要の片鱗に触れたい。

 

「皆さん、1兆円という金額がどの程度の大金か分かりますか?1日百万円使っても使い切るのに3千年かかります。」

 

ため息しか出ない。

これをどう読むか

これをどう読むか

https://www.yomiuri.co.jp/jinsei/20210504-OYT8T50060/

紙面の回答は著作権の関係上載せられないが。

 

 

相談者は20代男性。何かに付け敏感に感じる年代なのだろう。私も世の矛盾や不合理に腹が立って寝られないことがあった。

 

この相談に限らず世に腹の立つネタは無数にある。個人的な考えだが同じ家族を喪うにしても震災のように大自然の御力で天に召される方がまだしも、「誰でもよかった」などとほざく無差別犯罪に巻き込まれでもしたら気がおかしくなるかも知れない。例の未だに自身の運転ミスを認めない○チガイじじいもこの同類だ。被害者の無念は想像も出来ない。

 

不用意な首相の一言で文書の改ざんに手を染めさせられ自殺に至った財務省職員もいる。生活保護を受けながらベンツを乗り回すなど贅沢三昧に暮らしている者がいる。そしてその何百倍、何千倍という人が今日寝る所のあてもなく彷徨っている。1日食パン1枚で過ごしている。この世は矛盾だらけだ。

 

私も歳のせいか、これらの事に腹を立てることが少なくなってきた。丸くなったこともあろうし、人生の残り時間を考えると腹を立てている余裕が少なくなってきていることもある。

 

しかし、この青い若葉のような心根だけは失いたくない。

 

 

寝覚めが悪い

小学校3、4年の頃、放課後のホームルームである女子生徒が手を上げた。「私、今日誰かの〜知れません。もしそうならごめんなさい。」〜の部分は忘れた。服を濡らしたとか本を汚したなどの大したことない内容だったと思う。

 

その言葉に対して担任の先生が言ったのはこんな逸話だった。「お釈迦様が若い時、私が外を歩けば間違って蟻を踏んでしまうかも知れない。」と思い悩み1日中家から出ることが出来なくなったというもの。

 

 

次女が孫を連れて帰省しており、四季の郷公園に行ってきた。昼食を食べ終え、芝生で寛いでいると近くに居た数人の子供が10センチはあろうかという大きなムカデを囲んで騒いでいる。大人でもギョッとするような大ムカデ、誰も素手で触ることは出来ない。すると子供らは木の枝や小石を持ってムカデ目がけて叩いたり、ぶつけたりし始めた。驚いたムカデは必死に逃げたが、石をぶつけられたらひとたまりもない。たちまち動かなくなった。

 

昔から子供は残酷なものだ。私も子供だったら同じことをしたかも知れない。いたたまれない光景だったが近くに親がいたので注意出来なかった。自分で自分が情けない。

 

今はただムカデ君の極楽往生を祈るのみ。何も出来なかった私を許して欲しい。

憲法記念日

憲法記念日だが勿論、語るほどの何ほどの知識もない。

 

いつも槍玉に挙がる9条、これを素直に読めば軍事力そのものの保有が否定されている(ように読める)ことは間違いない。それを「自衛力は例外」との拡大解釈をして、それが自衛隊の存在根拠になっている。

 

私がここで問題にしたいのは26条。条文は「すべて国民はその能力に応じ等しく教育を受ける権利を有する」というもの。

これもまた素直に読めば能力のある者には高等教育を、そうでない者にはそれなりに、私にはそうとしか読めないのだが、誰もこのような解釈を公言しない。

 

能力の高い人には国が全額負担(場合によっては生活費も)してでも最高の教育を受けさせる、その代わり能力の低い者はどれだけ金を積んでも進学させない。猫も杓子も当たり前のように大学に行くのは明らかにおかしいし、それ以上に能力があるのに進学を諦めている人が居るとすれば、それは国家的損失と言って過言でなかろう。

 

現在小学校、中学校は義務教育となっており無償で全員が教育を受けられる。それはよい。しかし、義務教育でもない高等学校まで何故無償にする必要があるのか。僅か1%強とは言え、中卒で働いている人も居る。彼らは税金の恩恵に与るどころか税金を払っている。これを不平等と言わずして何という。

 

高等教育を受けた者が熱心に勉学に励み、使える社会人になって卒業するのならまだしも高校、大学の存在価値はあろう。しかし残念ながらそうなっていないのは誰しもが認めているところだ。だから日本電産の永守会長は私費で学校を設立した。

 

能力もない上に真面目に勉学する気もない、こんな者にまで高等教育を施す必要があるのだろうか。この位思い切ったことを言ってくれる政治家は現れないものか。