分からなくなる

今年小学2年生になった初孫が肉を食べるのは可哀想と言ったらしい。まさかヴィーガンにはならないと思うが、その感性は大事にして欲しい。

 

「もうじきたべられるぼく」https://www.chuko.co.jp/special/moutabe/

いかん、タイトルだけで涙腺崩壊。読んでまた涙が溢れる。「どんな悲劇小説も幼い我が子を喪った母親の手記に敵わない」と言うがこの本も殆どそれに近い。幼い子供に読ませるのは避けた方が良いかも知れない。

 

「一度でいいから馬のように草原を思う存分走りたかった」

「動物園のぞうやきりんのようにみんなに愛されたかった」

ああ、これ以上泣かせないでくれ。

 

袴田事件」のドキュメンタリー番組を見た。長年の拘留で精神状態が不安定になり落ち着きなく自宅の中を歩き回る袴田さんを見て1年前に旭山動物園で見た光景が蘇った。それは広い厩舎の中なのにたった往復20メートル程の向こうとこちらの鉄格子の間を1日中往復しているホッキョクグマであり、水の中をただ一直線に行ったり来たりしているカバである。あの「子」らは今もひたすらに決まった路を往復しているのだろうか。人間と動物を同列に論じるのは気が引けるがあの子らの神経も相当に参っているに違いない。

 

そう考えると動物園で飼われているゾウやキリンもけして幸せとは言えないな。

 

金子みすゞさんの「お魚」という詩にはこういう一節がある。

「牛も牧場で飼われてる」

そうか、何ひとつ人間の世話になっていないのに食べられる魚はもっとかわいそうか。でも金子みすゞさんの想定していた牛は乳牛なのではないか。肉牛だったら考えも変わっていたのではないか。

 

益々分からなくなってきた。