足を踏んだ者は痛みが分からない

親鸞は浄土宗の教えを更に進め浄土真宗を開きました。」我々はこのように教科書で学んできた。何年か前、浄土宗側からこの説明ではあたかも浄土宗の方が遅れた教えであるかのような誤解を与えるという抗議が出て表現が改められた(未確認)。

 

それにしても浄土宗は長い間よく辛抱したと思う。私達、いやもっと前の世代から上記の文章が使われていたから数十年間もこんな不公正な表現が使われていたのだ。

 

空海展生誕1250年記念」奈良国立博物館

https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/202404_kukai/

日本には多くの宗派がある。比叡山に行くとここで学んだ多くの名僧の額が掲示されている建物がある。法然親鸞栄西道元日蓮・・・。最澄以降の名僧で比叡山で学んでいない者はいないのではないか、さすが日本宗教の母山と呼ばれるだけのことはある。

 

処が上に挙げた名僧全てを足しても(敢えて言えばここに聖徳太子を加えても)テレビを始めとするマスコミで取り上げられる回数、展覧会で特集される回数は空海ひとりに及ばないのではないか。真言宗の信者の数は浄土真宗や浄土宗よりはるかに少ないにも関わらず。

 

ここでも何回か書いているように私は今の大谷偏重の報道に大きな疑問と不満を感じている。明らかに度か過ぎると思っている。

 

それなのに教科書の記述や空海の偏重には怒りも疑問も抱いたことはなかった。何故か。我が家の宗教が浄土真宗だからである。空海の開いた高野山和歌山県にあるからである。こんなことを言ってしまっては元も子もないがそれに尽きる。

 

真言宗以外、また和歌山県以外(京都と香川を除く)の県民が「空海ばかり取り上げ過ぎやないか!」と怒っているかどうかは知らないが私なら明らかに腹を立てていただろう。

 

「足の痛みは踏まれた者にしか分からない。」差別問題を取り上げる時によく使われる言葉だ。私は被害を受けた側がこの言葉を大上段に振りかざすことには賛成出来ない。でも踏んだ方があまりに無自覚なのはそれ以上に問題が大きい。

 

そんなことより奈良国立博物館に行くべきか、それが問題だ。