宝の持ち腐れにするな

このブログの最初期の頃、高校入学したての時にクラスの女子生徒から告られるという千載一遇のチャンスがあったのに活かすことが出来なかった失態について触れた。放課後に指定された場所(確か体育館裏だった)に行ったはいいがその後どうしたらいいのか、何を喋って何をしたらいいのか全く思い付かず結局すっぽかすという1番やってはいけないことをしてしまった。今思い出しても非常に申し訳ないことをしたという思いと、いや、それまでデートどころか女性と口を利いたこともろくになかったのだから仕方ないという思いが交差する。

 

お見合いも同様だ。会社に入って何かと女子社員とも接する機会もあったのでさすがに話をすることすら緊張するということはなかったが相変わらずデートの経験はゼロ、2人にされた後、どこに行けばいいのか、何を話せばいいのか長い間悩みの種だった。その後20数回のお見合いを経て今の妻と結ばれた訳だが、私のお見合い遍歴のことはまたの機会にしたい。

 

そんな何回目かのお見合いの折り、南部梅林に行ったことがある。今思えばあまり女性が喜びそうな場所ではないかも知れないがそこまで考える余裕がなかった。

 

今でこそ和歌山を代表する産物として1番に挙がることの多い梅だが当時(昭和60年代)の知名度はそれ程ではなく、みかんの方が圧倒的に全国的には名前が知られていた。処が南部梅林に行って驚いた。訪れる人もそう多くないのに梅を使ったお土産品、和洋菓子、お茶、漬物、勿論梅干し、中には梅の木を使った工芸品までが所狭しと露天の店先いっぱいに並んでいた。この時私は確信した。「きっと南部の梅はもっと有名になる。伸びる。」それに対して味の良さに胡座をかいてろくなPR活動をしてこなかったみかんはその後どうなった?ポンジュースといえば知らない人がいない位有名だがあれは愛媛みかん。では和歌山みかんのジュースの名称は?県民ですら知らない人の方が多いのではなかろうか。

 

NHKブラタモリ」で宮崎県の高千穂を訪れていた。今でこそ日本屈指のパワースポットとして多くの観光客が押し寄せる高千穂だが昭和初期までは知名度も低く、訪れる人も殆どいなかった。

 

高千穂が全国的に知られる大きなきっかけになったのは昭和25年の日本名所100選の渓谷部門で3位になったことだが、これも地元の人々が寄ってたかって応募ハガキを書きまくった成果らしい。今だったら倫理的に微妙なところだが、それだけ必死だったのだろう。

 

その日本観光100選の結果がこちら。

http://gauss.ninja-web.net/shinnihonkankouchihyakusen.html

 

これを見ると和歌山県が4部門でベスト10に選ばれているが今でも何とか頑張っているのは温泉部門の白浜のみ、海岸部門で堂々の全国1位に選ばれた和歌浦友ヶ島は一体どうなってしまったのか。生まれる前なので当時のことは知らないが3位に(それも地元民の投票というコンプライアンス違反ぎりぎりの手段で)入った高千穂にも観光客が押し寄せたというのだから和歌浦はさぞや大変な賑わいだったと思うが今、彼の地を訪れて往年の繁栄を想像することすら難しい。当時の和歌山の観光業者(官民合わせて)は何をやっていたのか。和歌山県のことだから地元民の投票運動などしていないだろう。だからこれは全国の方からの本当の評価の表れだ。それだけに今の凋落ぶりが残念だし、それ以上に歯がゆい。

 

当時の和歌山市の観光業関係者に南部梅林のように熱心にPRを推進する人がいればその後の展開も大きく変わっていただろう。これだけ自然条件に恵まれた場所なのに選ばれたことのない住みたい街にも入っていたかも知れない。そうなれば人口も・・・。

 

妄想はきりがない。