酒に関する思い出2

「どうしてそんなに飲むんだ。」

「忘れるためさ。」

「何を忘れたいのだ。」

「・・・忘れたよ。そんなことは。」

(*)中島らも氏の著書より引用

 

実は2日ほど前から風邪で臥せっている。前のブログで「まだこれといった不調もなく、」と書いたが、病に対する気弱さは50歳の頃から明らかに変わってきた。例えば背中が痛い、お腹が痛い時、若い頃は寝違えたかな、とか食べ過ぎたかな、で終わっていたが、今は何か良くない病の前触れではなかろうか、考えてしまう。もしかして、新型コロナ?体温を計ったら37度だったので一安心。

 

私が初めて酒(ビール)の安売りを知ったのは20数年前、たまたま通りかかった堺~岸和田辺りの道路から見えた手書きの看板であった。黒い板に白のペンキでこう書かれていた。

「ビール大ビン 1ケース ○○円 キリン アサヒ」

その値段はいつも買っているのより数百円安かった。けして愛想の良い店ではなかったが何より安いのが有難かった。その店には数回通ったのではないか。

 

そうこうする内に私の地元や当時の居住地にも安売り店が誕生した。当時はまだスーパーでの安売りはなかったから、酒の専業店が多かった。今より多かったと思う。

 

それと同時に缶ビールが台頭してきた。酒屋さんに配達してもらう分には瓶で一向に構わないが、安売り店は配達なし。そうなると瓶は自分で運ぶには重すぎる。

 

その頃にのし上がってきたのがアサヒ・スーパードライである。

私がスーパードライに対してどのような感想を持ったか。以前価格コムに投稿した文章があるのでよかったら読んでみて欲しい。

https://review.kakaku.com/review/K0000661313/ReviewCD=456938/#tab

 

スーパードライは当初の予想以上にヒットした。が、さらに悪かったのは当時のガリバー的存在であったキリン・ラガーが何を血迷ったか、それまでの熱処理から生ビールに製法を変えてしまったことだ。スーパードライも充分不味かったが、新しいキリン・ラガーは更に不味かった。私は今でも確信している。もし、キリン・ラガーが製法を変えずに前のままの味を保っていたら、その牙城を脅かされることはあっても、崩されることはなかったと。

 

ラガーの味が変わってほぼ1年後、ほとんど酒を飲まない実家にたった1本残っていた旧ラガーをM君を招いてお別れの試飲会を催した。2人とも期せずして涙が頬を伝った。は大袈裟だが、「あーこの味、この苦み」との感激は今でも忘れられない。