酒に関する思い出1

ルーブル美術館、休館。理由は職員の勤務拒否。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200302/k10012309771000.html

日本なら考えられない事態だが、こと、この件に関してはルーブル職員に同意する。

 

私も自動車通勤していた頃、大雪でバスも来てくれない(道路の雪かきができていないので)日に休んだことがあるが、それでも翌日何人かから嫌味を言われた。そんな輩に限って、もし慣れない雪道運転で事故でも起こそうものなら「だから、やめとけばいいのに。」なんて言うのだろう。全く始末が悪い。

 

今の若い世代(よく使う言葉だが何歳くらいを指すのだろう)は知らないと思うが、昔は居酒屋に行っても酒といえば「ビールか日本酒」だけだった。日本酒も今は多くの店で何種類もの地酒を揃えているが、ほとんどの店は1種類だけだったのではないか。

 

私が初めて焼酎を飲んだのは入社した年の冬、大分出張の折である。良いペースでお湯割りの杯を重ねる私に鮨屋のご主人が「なかなかいけますね。」と奨めてくれ・・・。

 

ここから先の話は詳しく書かない。チェックアウト時にそれなりの賠償金を払ったことだけにしておこう。普通なら休んでいるかもしれないひどい二日酔いだったが、出張先での販売応援。この時ほど胃腸内服液を有難く感じたことはない。

 

次に焼酎に出会ったのは数年後。職場に鹿児島の男性と結婚した女子社員がおり、帰郷の折に買ってきてもらった。ところが、これがとんでもない代物で栓を抜いた瞬間とんでもない臭いが部屋中に充満。文頭で”出会った”と書いたのは果たして飲んだのか、捨てたのか記憶にないからである。それほどひどい”芋臭”であった。

 

酒から離れるが、昭和50年代に札幌ラーメン横丁で味噌ラーメンを食べた時もとても辛くて(味が濃すぎ)、私には珍しく全部食べ切れなかったことを覚えている。私が胃腸不良以外の原因で食べ物を残したのは、これ以外では会社の寮で初めて出会った納豆、東京の名店そば屋(美味しんぼにも出てくる)くらいのものか。前者は臭すぎ、後者はつゆの辛すぎがその原因。

 

しかし、最近ラーメン横丁に行った人に話を聞くと、とても美味しくてこちらで食べる味と変わりはないとのこと。酒も食べ物もどんどん標準化が進み、ローカル色が薄れていくのは果たしていいことだろうか。(この話、組織における人間やオーケストラの音色などにも言えそうだが話が膨らみ過ぎるのでやめておく。)

 

それと昔はビールは酒屋さんに配達してもらうのが当たり前、注文するにしてもいちいち銘柄など指定せず普通に「ビール持ってきて」が当たり前だった。言わなくてもキリン・ラガーに決まっていた。

 

この状況が変わったのは今ではどこにもある酒の安売り店、及びアサヒ・スーパードライの登場によるものだった。

 

この項、続く。