びわこマラソン幕を閉じる

小学生の頃、スピードメーターや方向指示器付きの華美な自転車が流行った時期があり、よく友達同士で競い合った。高いモノは1台4-5万円はしたのではないか。今の値段にしたら幾らになることやら。きっと最高級のスマホより高いだろう。親も溜まったものではなかっただろうと今になって感謝する。

 

その頃の実感だが時速20キロというのは結構なスピードでかなりキツイ思いをしてペダルを漕がなければ出る速度ではなかった。

 

昨日でびわこ毎日マラソンが76回の歴史の幕を閉じた。元滋賀県民としてはやはり寂しい思いはあるが、鈴木選手が日本男子としては初の2時間4分台のタイムを出して有終の美を飾ってくれたことは嬉しく思う。

 

彼らは40キロの行程を2時間で走る。当たり前だが時速20キロで2時間ずっと走り続けるということだ。やはり常人ではない。褒め言葉として用いるがバケモノである。

 

びわこマラソン大津市に住んでいる頃、一度だけ見に行ったことがある。当時住んでいた石山団地から坂を下れば、自転車なら10-15分で瀬田川畔に出ることが出来た。その瀬田川沿いの道を選手たちが走るのである。石山団地には1987年頃から数年住んでいたのでその気になれば毎年行けたのだが。

 

その日の行動は今でもよく覚えている。生中継のテレビで先頭集団の現在地をチェック、今から出ればちょうど間に合うという頃にビデオ録画を開始して家を出た。帰宅して自分が映っているのを見るためだ。

 

自転車を適当な場所に置いて沿道に出ると、既に大勢の人だかり。10-15分くらい待っただろうか。ずっと先の方で「わーっ」という声援と拍手が聞こえてきた。先頭集団がちょうど走っている辺りからの声でその時は選手達の姿はまだ米粒のようだった。

 

それから声援と選手達が目の前を通り過ぎるのに時間は掛からなかった。どんな選手が出ていたのか、今となっては記憶はないが宗兄弟のお馴染みの眼鏡の顔はハッキリと確認できた。

 

あっという間に彼らは走り去った。時速20キロの速さを痛感した瞬間だった。一般の、と言うと線引きが難しいが恐らく一般人の全速力より速いのではないかと思われた。

 

ほとんどの人はまだ残って応援を続けていたが、私は早々に帰宅した。寒かったのもあるが、やはり元々スポーツにシンパシーがないのだろう。

 

家に帰って早速ビデオをチェックした。当たり前だがちゃんと映っていた。そのテープはその後どうしたのだろう。

 

万一見つかっても再生する機械はない。