ロシアのウクライナ侵攻を一番恨んでいる日本人は医療関係者かも知れない。ワイドショーの仕事をすっかり奪われてしまった。
3月3日は「水平社宣言」から100周年だったらしい。
アメリカのクリントン大統領が妻のヒラリーとドライブの途中、ガソリンスタンドに立ち寄った。するとそこで働いていたのがヒラリーの元ボーイフレンド。ガソリンスタンドを出てクリントンいわく、
「君があの男と結婚していたら今頃君はガソリンスタンド店員の妻だね。」
それに返してヒラリー、
「何を言ってるの。私が彼と結婚していたら彼が大統領で貴方はガソリンスタンドで働いていたわよ。」
実に面白い小話だが、言葉狩りの好きな連中はこんな話にも難癖をつけるのだろうか。「仕事に貴賤はない」と。
差別、とひとくちに言うがその根元は根深く、不可解な部分も多い。「足を踏まれた者でなければ痛さは分からない」と言われると返す言葉もないが、以下私見。
昔の時代劇の再放送を見るのを楽しみにしていることは何回も書いたが放送前に必ず流れるのが「今の時代では問題となる発言がありますが云々」という例のテロップだ。
勝新太郎の座頭市のように「めくら」という言葉連発の明らかにあかんだろうというものもあるが大半は「今の番組、どこに問題発言があった?」と分からないものも多く、まるで万一問題があったら面倒だからと何でもかんでもテロップを入れているように思われることも少なくない。もし、そんな感覚でテロップを流しているのならその考えそのものが差別心ではないだろうか。
ある人が語っていたが日本人は今でもパリのカフェなどに行くと希望に反して店の奥の席を案内され、明らかに差別されていると感じることが有るという。日本が経済大国だった頃は「名誉白人」などと呼ぼれ、浮かれていたが所詮、日本人も他のアジア人も見分けが付かないのは我々がフランス人もイギリス人も分からないのと同じこと。