パラリンピック考

(5/7記)

「ボクシングの美しさに魅せられると、他の大ていの美しさは何だかニセモノめいて来る。それは錯覚に違いないが、いい試合を見ているときは確かにそう感じる。そして文明などというものが人間をダメにしてしまったことがしみじみ分かるのである。」

三島由紀夫

 

しまった。安易に大文豪の言葉など引用するのではなかった。昨日の井上尚弥の試合を見て何か書こうと思ったがこんな完璧な言葉の前にすると続けて書く勇気がない。ひとつだけ書くと本当にヒヤヒヤした。これは試合後ネリが語っていたが想像もしなかったチャンピオン初ダウンの後、ネリの側がパニックになり攻撃が疎かになってしまったとのこと。もし、冷静に追撃されていたら万一があったかも知れない。あくまで素人考えだが。

 

 

 

 

 

 

「少年Aこの子を産んで」

著者は神戸連続児童殺傷事件犯人の母親。当然売上は全て被害者家族への賠償金に充てられる。出版時、母親は苦しいの胸の内を語っている。「よくこんな本を出せたものだという批判の声はありました。でも何もしなければ何もしないのかという批判の声もあります。結局何をやってもやらなくても批判されるのです。それなら少しでも賠償に充ててもらう方がいいと判断しました。」

 

学生駅伝、留学生の出場は最短区間に限る。https://www.nikkansports.com/m/sports/athletics/news/202312240000942_m.html

 

難しい問題だ。上記の本同樣、どんな方法を採用しても批判は出るだろう。綺麗事ならきくらでも言える。なら聞くが選手全員がケニアエチオピアの留学生でもいいのか。人数を限っている?それは差別ではないのか。

 

私は高校野球の留学ですら苦々しく思っている方なので出来れば日本人のみで参加してほしいと思っている。オリンピックで言えば1932年の吉岡選手以来、短距離の決勝にすら残れていない。20年くらい前まではマラソンに最後の強みを見せていたが、今や絶望的なくらいその差は広がった。やはり日本人は走ったり跳んだりには不向きなのだ。

 

勿論こんなこと、マスコミでは誰も言わない。彼らは常に弱者の味方を装いたがる。面白いのはその化けの皮が簡単に剝がれることで、大相撲で長い間モンゴル勢に優勝や横綱を独占されてきた後、久し振りに日本人力士が優勝したり横綱になった時のマスコミのはしゃぎっぷりと言ったら!

 

何が発端だったのか知らないが、北朝鮮とテレビで読む時、必ずその後に朝鮮民主主義人民共和国と正式国名を復唱するのが決まりになっている一時期があった。オリンピックも同樣、今なら2024年パリオリンピックパラリンピックと必ずパラリンピックも同時に読むのが通例になっている。あれ、オリンピックだけでは駄目なのか。いや、気持ちは分からないでもない。パラリンピックもオリンピックと同等のスポーツの祭典であることをアピールしたいのだろう。

 

その為にマスコミにお願いしたのか、圧力を掛けたのかそれは知らない。でもそのやり方は間違ってないか?やるならオリンピックと同等の放送時間を確保するよう要請すべきと思うのだが。日本ではNHKが深夜に申し訳程度にダイジェスト版を放送するのみ。これでは一般の人が関心なと持つ訳ないではないか。先ず障害者スポーツが如何に面白いか知ってもらうのが1番大切だと思うのだが。

 

そんなの放送局が受け入れる筈がない?第一視聴者が反発する?そんなの簡単。現在あまりに多過ぎる「大谷枠」の時間をパラリンピックに振り向ければよろしい。

 

「見たくもないのに大谷ばかり流しやがって。」そう思っている人は多い筈だ。