天邪鬼かも知れないが

金融機関を中心にいくつかの会社のセミナーに参加したことがある。そこで感じたのはやはり一流と言われる会社の人間ほど一般的に弁舌さわやかで話も上手いということ。(ここで言う一流とはあくまで会社の規模や伝統を指すのであって例えば都市銀行の薦める投資が地方銀行の薦める投資より儲かるとか、そんな話ではけしてない。念の為。)

 

これは他の会社の方から聞いた話だが松下電器の社員は話が上手いという。特に女性があれだけ人前であれだけ堂々と話が出来る例は滅多にないらしい。その人は理由として松下電器で毎朝行われていた朝会を挙げていた。テレビで見た方もいると思うが部署単位でその日の担当者が巻物の経営理念を全員で唱和する、あれである。実際はその後に所感発表といって最近身の回りで起こったこと、またそれについて感じたことを数分にまとめて話す時間がある。私は元々話すことが好きだし人前で話すことも苦ではなかったが所感発表をするようになってよりその腕に磨きがかかったという自覚はある。

 

 

高校野球の選手宣誓がかつての絶叫式でなくまるで葬式の式辞のような元気のないものになったのはいつからだろう。あんな声量なら松下電器の朝会の方が余程声が大きかった。

 

仙台育英監督の優勝インタビューが多くの人の感動を呼んでいるらしい。ここ何年すっかり涙もろくなった私だがこのインタビューには全く感動しなかったし、泣けなかった。予め準備され、作られた文章であることが丸見えだったからである。

 

その点昔のインタビューはバラエティに富んでいた。方言丸出しで何を言っているのか分からないもの、逆に話し慣れない標準語を喋ろうとして滑っているもの、選手や関係者の喜びがよりストレートに伝わってきて最近のインタビューでは味わうことの出来ない感動を与えてくれた。

 

その上、昔の選手はやんちゃだった。今でも語り草になっているのは昭和54年春の浪商の牛島投手。箕島との決勝戦で当たっている北野選手に監督の敬遠の指示伝えに来た選手に「投げとるのは俺や。引っ込んどれ!」一方打席では北野選手がキャッチャーの香川選手に「敬遠なんかするなよ!」とアピールしていたらしい。何とも痛快ではないか。

 

それを思うと今は選手も監督もお行儀良くなり過ぎだ。今はそんな時代ではない。大声で宣誓するのも流行りでないと言われるか。

 

それなら先ずこの異常な酷暑の下で行うことの可否を考えろよ。脱水で足がつるなんて昔はなかったぞ。言ってることとやってることとの差があり過ぎだろう。

マスコミの欺瞞

仙台育英が優勝した。春夏合わせて200回近くの大会が行われているのに東北勢の優勝は初めてらしい。名球会投手の東尾修氏が京都の平安高校行きが決まっていたが尾藤監督の「地元に残って甲子園を目指そう!」という説得に負けて箕島に入学したのは56年前。平安に行けば学費、その他いろんな特典があっただろうが地元に残ることを決断した東尾さんの男気に改めて感動する。その頃既に有力選手のヘッドハンティングが行われていたとすれば200回の内、100回以上は「野球留学」の下に大会が行われていたことになる。それなのに東北勢が今年まで優勝出来なかったことが逆に不思議に思える。

 

友人調べだが仙台育英の県外出身選手は18人中9人、準優勝の下関国際は何と県外出身選手が17人だという。だから仙台育英の優勝には価値があり、もし下関国際が勝っていたら価値がない優勝だとか言うつもりはない。そんなことはどうだっていい話だ。

 

今年の世界陸上サニブラウン選手が100メートルの決勝に進出した。マスコミでは

「まさかこんな(日本人が決勝に残る)日が来ようとは!」

式の礼賛一色。しかし皆知ってるようにサニブラウン選手はガーナ人と日本人のハーフ。純粋な日本人ではない。こんなこと、もしマスコミが言ったら大バッシングを受けること間違いないが、ではボルト選手が2009年以前に国籍を日本にしていたらマスコミはこんな風に大騒ぎしたのだろうか。

「まさか日本人が100メートルの世界記録を達成する日が来ようとは!」・・・

 

勿論大騒ぎした。だって日本人だから、と胸を張った貴方。稀勢の里横綱になった頃のマスコミの大はしゃぎを思い出してほしい。

 

「日本人○年振りの優勝!」とか「日本人○年振りの横綱誕生!」という言葉をどれだけ聞かされたことか。そんなにモンゴル人力士が勝つことが面白くなかったのか。

 

面倒なので調べないが日本人が長く優勝から遠ざかっていた間、日本に帰化したモンゴル人力士はいなかったのか。もしいたらその力士の優勝は何故日本人の優勝としてマスコミに礼賛されなかったのか。

 

自身の勝手なご都合で人を差別主義者にでっち上げるマスコミ自身が最も差別をしている。こんな二面性は私の最も嫌うところだ。

 

高校野球の話、もう少し続く。

何もかも一番でないと気が済まないのか

昨夕北海道で震度3の地震があったらしい。この程度の震度ならそれ程の被害も無かろうに9時のNHKニュースでは冒頭わざわざこの地震を報じた。これが和歌山での地震でも同じく取り上げただろうか。

 

私が文化財に関心を持つきっかけになった「歴史百科日本国宝事典(1980)」を見ると都道府県別国宝所有数1位は京都で239件、2位が東京で227件となっている。

それが2021年には京都が237件なのに対し、東京が283件と1位2位が入れ代わっている。京都の▲2件も気になるが、東京が56件も増えているのはどういう理由に依るものか。他県の国宝を引き抜いたか、東京所在の文化財を優先的に国宝指定したか、恐らくその両方だろう。

 

珍しく全国ネットの番組で白浜のアドベンチャーワールドが取り上げられた。そのこと自体は喜ばしい。

https://mantan-web.jp/article/20220813dog00m200001000c.html

 

気になったのは日本の動物園でのパンダの数。日本でパンダが見られるのは白浜と上野と神戸。それは知っていた。数は白浜が6、7頭、上野が2、3、神戸は1くらいだろうと思っていた。和歌山が東京を圧倒している数少ない自慢のひとつだ。そう思っていた。ところが・・・。何と白浜の7頭に対し上野に5頭も居るという。今のところかろうじて上回ってはいるものの、かなり肉薄されている。国宝の例もある。危ない危ない。

 

国宝にせよパンダにせよ金で寄せ集めて1番になることがそんなに嬉しいか。如何にも巨人軍のお膝元に相応しい振る舞いだ。原発など危ないものは地方に押し付けやがって。

 

往年のドイツの大指揮者、ハンス・クナッパーツブッシュミュンヘンの地から離れることが滅多になくベルリンやウィーンからの引きも切らない客演要請にこう答えたという。

「そんなに聞きたけりゃ、そちらから聞きに来い!」

 

わざわざその地に行かなければ出会えないものがあればこその地方活性化ではないのか。

 

東京よ、少しは地方に譲ることも覚えろよ。

 

 

8月15日

30数年前、韓国に行ったときのレートは1ウォン≒0.2円くらい。それで現地での物価がほぼ円で使うのと同じくらいの感覚。喫茶店で飲むコーヒーが400〜500ウォン、コンビニで買うジュースが100ウォン。そっくりそのまま円で支払うのと同程度だった。しかもこれらは首都ソウルでの値段、国平均だともっと安かったと思われる。物価をそのまま当てはめることは出来ないが、当時の経済力も1対5あるいはそれ以上だったのではあるまいか。

 

その韓国に2、3年前日本は平均賃金で抜かれたという。失われた30年の成れの果てだ。株価が3万円を越えた1989年をもって日本経済のピークのように言う論調が多い。しかし私見だが80年代はそれまでの“貯金”で食いつないでいた時代、本当の意味で日本経済が最強だったのは70年代末〜80年代初頭であったように思える。事実ソニーウォークマンや日本ビクターのVHSビデオが発売されたのはこの時期だし、エズラ・ヴォーゲルの「ジャパンアズナンバーワン」が刊行されたのも1979年だ。

 

今日8月15日は言うまでもなく終戦記念日、多くの若い人が生命を散らしたが、一方帰還を果たした人達が日本の復興、それのみならず世界屈指の経済強国を作り上げたことはわざわざ考えるまでもなく彼らの年代を見れば明らかだ。昭和20年の終戦時点で20〜40歳の正に戦地に赴いていた年代の人が1980(昭和55)年には45〜65歳。彼らのサラリーマン人生がすっぽりそのまま当てはまる。

 

1939年の映画「風と共に去りぬ」を見たとき最初に感じたことは「よくもまあ、こんな国と戦争しようなどと考えたものだ」という彼我の絶望的な国力の差だった。

 

日本が戦争の道を選択したことを擁護するつもりは全くない。だが焼け野原の日本を僅か20〜30年で世界第2の経済大国に建て直した優秀、有能な彼らだからこそ3年半以上も戦いを継続出来たのかも知れない。

 

彼らの世代の方があと20〜30年遅く産まれていたら彼らの中から日本のビル・ゲイツスティーブ・ジョブズが出ていたかも知れないのだ。

 

 

日航機墜落事故37年

朝の7時時点で大雨や暴風の警報が出ていると学校は休みになる。妻は教員をしているが正直、生徒の来ない日は気楽だと言う。そりやそうだ。客の来ない日の店員さんも同様だろう。(勿論経営者ならそうは行くまいが雇われ人なら暇で給料が貰えればこんな結構なことはない。)

 

今回のコロナ禍も余りに長引いているので受け止めも変わってきただろうが一ヶ月程度のステイホームで終わっていたら教師も学生もサラリーマンも皆ハッピーだったのでばあるまいか。

 

気象警報にせよパンデミックにせよ当然被害を被っている人が居るのだからそんなことで休みになったことを喜ぶのはいけない、そんなことは分かっているのだが・・・。

 

 

37年前の今日日航機墜落事故が発生した。私はその2、3日前に同じ夕刻の東京〜大阪間の便に乗っていたばかりなので第一報を聞いた時は思わずゾッとしたことを昨日のことのように覚えている。

 

520人もの尊い命が奪われたが中でも一番大きな犠牲者を出したのが松下電器、10数名の従業員に新婚旅行の人も居てより一層皆の涙を誘った。後日行われた社葬には90歳を過ぎた松下幸之助相談役も列席され「代われるものなら代わってあげたい。」との言葉を述べられた。

 

私が直前に東京〜大阪間のフライトに乗っていたのはアメリカへの研修旅行帰りで盆休み明けには人事部長など数名の前で成果発表をする予定だった。この時、私は研修派遣だけの為に本社所属になっていたので誰ひとり知らない人ばかり。とにかく鬱陶しかった。

 

まな板の鯉のつもりで意を決して本社に赴いたがその時の本社の異様な雰囲気、光景は忘れられない。事務所、と言っても小さな体育館くらいある広さ、通常は椅子机がびっしり並んでいるのだが見事に両脇に押しやられ、その代わりテレビが10台くらい横並びに置かれそれぞれ異なるチャンネルが映っている。テレビの前にはパイプ椅子に座った人事部員が目を皿にして画面に見入っている。

 

事情が飲み込めるのに時間は掛からなかった。各テレビ局ともずっと事故のニュースを放送していたが、それぞれ自前の情報で「死亡が確認された方」の名前がテロップで画面に出る。それを確認していたのだ。

 

唯一面識のあった方が来てこう言った。「○君、見ての通りの事態なので悪いけど君の成果発表を聞けるような状況ではないわ。」

 

この時、顔では深刻な表情を見せながらホッとする自分がいたことは隠しようのない事実だ。今思えば何と罰当たりな。その罰がその後の社員人生に影を落としたのか。

 

 

 

 

準V生駒・北野監督、涙流し選手称える「これ以上ない戦いしてくれた」主力12選手が発熱/奈良 - 高校野球夏の地方大会 : 日刊スポーツ


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