日航機墜落事故37年

朝の7時時点で大雨や暴風の警報が出ていると学校は休みになる。妻は教員をしているが正直、生徒の来ない日は気楽だと言う。そりやそうだ。客の来ない日の店員さんも同様だろう。(勿論経営者ならそうは行くまいが雇われ人なら暇で給料が貰えればこんな結構なことはない。)

 

今回のコロナ禍も余りに長引いているので受け止めも変わってきただろうが一ヶ月程度のステイホームで終わっていたら教師も学生もサラリーマンも皆ハッピーだったのでばあるまいか。

 

気象警報にせよパンデミックにせよ当然被害を被っている人が居るのだからそんなことで休みになったことを喜ぶのはいけない、そんなことは分かっているのだが・・・。

 

 

37年前の今日日航機墜落事故が発生した。私はその2、3日前に同じ夕刻の東京〜大阪間の便に乗っていたばかりなので第一報を聞いた時は思わずゾッとしたことを昨日のことのように覚えている。

 

520人もの尊い命が奪われたが中でも一番大きな犠牲者を出したのが松下電器、10数名の従業員に新婚旅行の人も居てより一層皆の涙を誘った。後日行われた社葬には90歳を過ぎた松下幸之助相談役も列席され「代われるものなら代わってあげたい。」との言葉を述べられた。

 

私が直前に東京〜大阪間のフライトに乗っていたのはアメリカへの研修旅行帰りで盆休み明けには人事部長など数名の前で成果発表をする予定だった。この時、私は研修派遣だけの為に本社所属になっていたので誰ひとり知らない人ばかり。とにかく鬱陶しかった。

 

まな板の鯉のつもりで意を決して本社に赴いたがその時の本社の異様な雰囲気、光景は忘れられない。事務所、と言っても小さな体育館くらいある広さ、通常は椅子机がびっしり並んでいるのだが見事に両脇に押しやられ、その代わりテレビが10台くらい横並びに置かれそれぞれ異なるチャンネルが映っている。テレビの前にはパイプ椅子に座った人事部員が目を皿にして画面に見入っている。

 

事情が飲み込めるのに時間は掛からなかった。各テレビ局ともずっと事故のニュースを放送していたが、それぞれ自前の情報で「死亡が確認された方」の名前がテロップで画面に出る。それを確認していたのだ。

 

唯一面識のあった方が来てこう言った。「○君、見ての通りの事態なので悪いけど君の成果発表を聞けるような状況ではないわ。」

 

この時、顔では深刻な表情を見せながらホッとする自分がいたことは隠しようのない事実だ。今思えば何と罰当たりな。その罰がその後の社員人生に影を落としたのか。