8月15日

30数年前、韓国に行ったときのレートは1ウォン≒0.2円くらい。それで現地での物価がほぼ円で使うのと同じくらいの感覚。喫茶店で飲むコーヒーが400〜500ウォン、コンビニで買うジュースが100ウォン。そっくりそのまま円で支払うのと同程度だった。しかもこれらは首都ソウルでの値段、国平均だともっと安かったと思われる。物価をそのまま当てはめることは出来ないが、当時の経済力も1対5あるいはそれ以上だったのではあるまいか。

 

その韓国に2、3年前日本は平均賃金で抜かれたという。失われた30年の成れの果てだ。株価が3万円を越えた1989年をもって日本経済のピークのように言う論調が多い。しかし私見だが80年代はそれまでの“貯金”で食いつないでいた時代、本当の意味で日本経済が最強だったのは70年代末〜80年代初頭であったように思える。事実ソニーウォークマンや日本ビクターのVHSビデオが発売されたのはこの時期だし、エズラ・ヴォーゲルの「ジャパンアズナンバーワン」が刊行されたのも1979年だ。

 

今日8月15日は言うまでもなく終戦記念日、多くの若い人が生命を散らしたが、一方帰還を果たした人達が日本の復興、それのみならず世界屈指の経済強国を作り上げたことはわざわざ考えるまでもなく彼らの年代を見れば明らかだ。昭和20年の終戦時点で20〜40歳の正に戦地に赴いていた年代の人が1980(昭和55)年には45〜65歳。彼らのサラリーマン人生がすっぽりそのまま当てはまる。

 

1939年の映画「風と共に去りぬ」を見たとき最初に感じたことは「よくもまあ、こんな国と戦争しようなどと考えたものだ」という彼我の絶望的な国力の差だった。

 

日本が戦争の道を選択したことを擁護するつもりは全くない。だが焼け野原の日本を僅か20〜30年で世界第2の経済大国に建て直した優秀、有能な彼らだからこそ3年半以上も戦いを継続出来たのかも知れない。

 

彼らの世代の方があと20〜30年遅く産まれていたら彼らの中から日本のビル・ゲイツスティーブ・ジョブズが出ていたかも知れないのだ。