オリンピック、その他スポーツ

私の一番古い記憶はどうも、前(1964年)の東京オリンピックのようだ。

同学年同士で話してもよく覚えている者あれば、全く覚えていない者あり様々ということは、この辺りが記憶の境界線らしい。

 

と、言っても私の覚えているのはたったひとつマラソンのみ。それも当夜のニュースでゴール後のアベベ選手と円谷選手を見比べながら「全然余裕が違うなあ。」と父親がつぶやいていたことのみ。後の円谷選手の悲劇を思えば何とも残酷な言葉だが、当時の日本人の平均的な感想は皆同じだったのではないか。

 

父親ついでに言うとスポーツに関してはするのも見るのもまったく関心なしという人だったが、それはそっくりそのまま私が引き継いでいる。(唯一の例外がプロレスだがプロレスをスポーツと呼ぶかどうかは議論があろう。)

 

次のメキシコオリンピックとなると、これはもうハッキリ覚えている。特に鮮烈だったのは米、ビーモン選手の走り幅跳び。後に30年以上も破られなかった大記録だが、そんなことは後で分かること。スロービデオで見たビーモン選手が高さでも人の上を跳んでいたのには心底仰天した。

 

以降、各大会ごとにそれぞれ思い出があるが日常生活に影響が出るほどの大事件と言えばシドニーオリンピックの柔道・篠原選手の誤審事件である。篠原選手の悔し泣き、しかし潔い態度、それに対して仏、ドイエ選手のふてぶてしい態度。当時腹が立って仕事が手につかなかった日本人は多かった筈だ。

 

今は、と言うと小川直也さんや谷亮子さんの意見に同感だ。2人とも篠原選手の内また透かしの有効性は認めつつも、副審一人の判定しか確認せずにガッツポーズをしたのは間違いだったとの意見。

 

オリンピック以外で関心があったスポーツと言えば上記プロレス以外では、大相撲と高校野球。「あった」と書いたのは今はこの二つもほとんど見ることはなくなったから。なぜ見なくなったのか。理由はいくつかあるが、社会人になり”生で”見ることが不可能になったというのが大きい。それと暇な大学時代に熱心に見過ぎた反動もあるのかもしれない。

 

熱心に見ていたころの思い出はいつか触れる時があると思う。

 

本日の締めにペンネームの種明かしを。sadajiは第35代横綱双葉山定次からshoheiはジャイアント馬場さんの名前、正平から借用しています。