嫌な予感

5/3の父の七回忌、年齢的にも母が参列できる最後の年忌法要になるかも知れず、孫、ひ孫全員参加で盛大に執り行う予定であったが、コロナ禍の影響で子供世代のみ、数人での挙行となった。高知在住の息子に至っては学校から帰省禁止令まで出ているとのこと。でも、このご時世、お寺の方から断ってきた例もあるやに聞くので行えるだけでも幸運と思わなければなるまい。

 

 

今日テレビでAC(公共広告機構)の広告を見た妻が「これからACの広告増えるんかな。」と言う。「不気味なこと言うなよ。」と応じる私。

 

今まで日本のテレビCMがほぼAC一色になったのは私の知る限り、過去3回ある。阪神、東日本の2回の大震災、及び昭和天皇崩御時である。これ以外にも100人単位の犠牲者が出た事故、災害は何回かあったがAC一色にはなっていない。

 

4/11までのコロナウイルスでの犠牲者は132名。妻の発言に深い裏打ちはないと思う。しかし、女の感は侮れない。感染経路が分からない患者や若くて持病がなくても重傷化するケースの増加、そして私が懸念するのは医療機関、医療従事者に感染が広がり、本来の機能を果たせなくなるもうひとつの”医療崩壊”だ。

 

昭和天皇の容体が重篤化し、Xデーが現実味を帯びてきた時、民放、NHK共に”その瞬間”からどんな放送編成にするか入念なスケジュール調整を重ねていたという。

 

今この時も、同じようなことが行われているのだろうか。4回目のテレビCMのAC一色化はあるのだろうか。そうならないとは誰にも言えないのである。