男は経験出来ないけれど

オウム真理教による一連の犯行が世間を震撼させていた頃、こんな言葉が週刊誌に載った。「サリンが無味無臭なんて誰が確認したんだ。」確かにごく微量触れただけで即死するという猛毒サリン、強烈なブラックユーモアである。

 

今読んでいる高齢者向けの医学書認知症について「ある程度進むと自分の置かれた状況が分からなくなる、従って本人にとってはむしろ気楽な病気とも言えます。」とある一方で「未だ薬も治療方法もありません。」と書かれている。ということは死後の世界同様、実際に見てきた者が居ないのだから、気楽かどうかなんて分からないのではなかろうか。

 

かなりの確信を待って言えるが、もし私が認知症と診断されたその日から家族に気を遣わせまいとわざと呆けた振りをすると思う。例えば、と書こうと思ったが余りに悲しくなるので止めた。

 

「出産の苦しさ、しんどさは男には分からない。」、「男が出産したら痛さに耐えられず失神する。」男がよく言われる言葉だ。実際、経験出来ないのだから返す言葉がない。

 

9/24次女が第一子を出産した。本人いわく、「医者も認める難産」だったらしい。唯一付き添いを認められた妻も泣きながら頑張っていたと話していた。悲しいかな、男はただ想像するしかない。

 

しばらくして産後直ぐの母子写真が送られてきた。大袈裟ではなく、娘の顔が少し神に近付いたように見えた。

 

男は産みの苦しみを経験することは出来ない。しかし、これは断言出来る。出産を経験することにより女性は痛みや苦しみ以上に遥かに大きななにものかを得ることが出来ている。