妻は真面目で剛毅な人間、やや柔軟性に欠けるところがあるが偉いと思うのは女の弱みを見せないところだ。ゴキブリやクモを見つけても悲鳴を上げたり、始末を男に頼ることはけしてなく、ひとりで淡々と職務?をこなしている。
出産についてもそうだ。よく一部の女性が「出産ほどきついものはない」、「男はあの痛さに耐えられない」と言うが妻はそんなことを一言も口にしたことはない。
出産ほどきついものはない。本当だろうか?がんの痛み、特に抗がん剤の副反応よりきついのだろうか?大火傷の治療より痛いのだろうか?勿論そんな筈はない(筈だ)。
でも大多数の男はそんなことは言わない。出産と重い病の苦痛を比べること自体ナンセンスだし、こんな口争いで勝って女性の機嫌を損ねても何の得にもならない。正に「それを言っちゃあお終いよ」なのだ。
でも、時には「それ」を言って欲しい場面に出くわすこともある。このブログのかなり初めの頃に書いたが障害児を持つ親が「うちの子を皆と同じ学校で学ばせたい」などもそのひとつだ。あのねえ、その気持ちは分かりますよ。でもその為に職員ひとりが掛り切りになるのですよ。場合によっては施設の改築も必要になるのですよ。その金は勿論我々の税金から支払われるのですよ。
アンコンシャス・バイアスという言葉、寡聞にして今まで聞いたことがなかったが概ねこんな意味らしい。
この言葉を知ったきっかけは和歌山市からのアンケート。大体上記と同じ質問が並んでいたが最後の質問が「どうすれば皆が自分らしく活躍できる社会が実現できると思いますが」ときた。
男は男らしく、女は女らしくを否定するようなこの言葉も気に入らないが、それは次回に取っておく。私が引っかかったのは活躍できるという言葉だ。
逆に聞きたいのですが我々は皆活躍しなければいけないものてすか?そのアンコンシャス・バイアスとやらが無くなれば皆が活躍できるのですか?
「たかじんのそこまで言って委員会」の放送開始当初、桂ざこばさんが「女の体は洗濯しやすいように出来てるんじゃ!」との名文句を残したが、もっと言ってくれる人は出てこないものか。