顔は生き様を写す

リンカーンの言葉だったと思うが「男は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」というのがある。同様に大宅壮一氏の「男の顔は履歴書」という言葉もある。

 

私はこの言葉(考え)にかなり賛同する。外見で人を判断するなんて!云々の話ではない。昔、会社の上司とこの話をしていたら「外見で仕事が出来るのならモデルを並べておけばいい。」と反論されたが、勿論上司とて分かって茶化していたのだろう。

 

顔の造作ではなく、その人の生き様が如実に顔に現われると思うのだ。若い頃はそうでもないのに歳を重ねて見違えるような深みのある顔になる人もいれば、逆に若い頃は精悍な顔だったのに歳を重ねてだらしない顔になる人もいる。私などさしずめ後者の典型だ。

 

このブログの最初の頃、高校に入ってすぐの頃にクラストップクラスの可愛い子から告られたという話を書いた。自分で言うのは誠におこがましいがその頃の私は確かにイイ顔(ハンサムとかでなく、思慮分別のある)をしている。

 

私の若い頃(大学の卒業アルバム)の写真を掲載する。これに比べたら今の顔は如何に自分に甘い人生を歩んで来たか嫌になるほど表れており、比べるべくもない。誠にお恥ずかしい。

f:id:sadajishohei:20201121073141j:plain

 

正反対の道を歩んでいるのが私の息子だ。小さい頃はいくら男の子とは云え、と将来を案じたものだが今は見違えるほどの「イイ顔」になつている。きっと充実した人生を歩んでいるのだろう。父親として実に嬉しい。