同時テロから20年〜我が子を喪うということ

今日で9・11同時テロから20年。最近のことなので覚えている方も多いだろう。当時の記憶を辿ると突然テレビ画面が切り替わり、その時は既に一方のビルは炎上していた。事情がよく飲み込めないまま、右から飛行機が飛んで来た。私はてっきり現場を近くから撮影する為に飛んできたのだと理解した。処がいつまで経っても飛行機が左に抜けてこない。なんで?おかしいな?と思っているともう一方のビルからも火の手が上がった。

 

この後の詳細は報道通りなのでだぶっては書かないが、物理に詳しくない私は飛行機が衝突した上の階が崩壊するのは分かるが下の階含め、ビル全体が倒壊したことに不審を感じたことは確かで、陰謀論の一部も同様な疑問から発生している。

 

 

今偶然付けたテレビがNHK「事件の涙 終わりなき9・11 日本人家族の20年」という番組を映していた。84歳と81歳の老夫婦が息子の誕生祝いをしている。生きていれば54歳だと言う。乾杯をしながらも当然ながら二人に笑いはない。恐らくこの夫婦は20年間心の底から笑ったことなどないだろう。ニューヨークの、それも世界貿易センタービルに勤務する位だから自慢の息子だっただろう。いや、そんな事など関係ない。どんなに出来が悪く不孝な子供でも親からすればこの上ない宝物。

 

よく「なんで孫はこんなに可愛いのだろう」とか「孫には子供に絶対見せなかった顔をする」という言葉を聞くが私にはピンと来ない。正直に言うが子供の方が何倍も何十倍も可愛い。親は子供が一番可愛いし、子供はまた自分の子供が一番可愛い。それでいいし、またそうあるべきと思う。

 

私の松下電器での同期にもまだ小さい我が子を亡くした者がふたり居る。ひとりは遊んでいた工事現場の盛土が崩壊して生き埋め、もうひとりはプールでの溺死。ふたりとも社内結婚で奥さんも知っているので余計気の毒でならない。特に溺死した子供のお母さんとはよくバカ話をする仲だった。一緒にプールに行ってちょっと目を離した隙に見失い、見つかった時は手遅れだったらしい。あの明るく、よく笑う女性が反狂乱だったそうだ。この二組の夫婦もその後の人生から笑いを奪われてしまったことだろう。

 

9・11のような大事件が起こると、とかく犠牲者の数だけがクローズアップされるがひとりひとりの犠牲者の陰でその何倍もの人が人生から笑いを無くしているのだ。

 

そのことは絶対に忘れてはならない。