文明が文化を凌駕する?

ホチキス、ジープ、エレクトーン。これら全て特定の会社の商品名である。一般名称はホチキスはステープラージープは・・・各自調べてくれ。

 

40云年前ソニーが売り出したウオークマンもそのひとつ。一般名称はヘッドホンステレオという。だから松下のウオークマン、とかナショナルのウオークマンなどと言われるのは非常に心外だったし、悔しかった。

 

ソニーがウオークマンを売り出した丁度その頃、私は正にヘッドホンステレオを製造する録音機事業部にいたのだがその時点ではあまり危機感はなかったように記憶している。ある人は「あれは音楽を聴く音質ではない。」と言い、またある人はウオークマンを手に持って揺すりながら「こんな風に揺すっても音飛びがしないのは音質重視で作っていない証拠だ。」と言った。その頃音楽といえばスピーカーに対峙して真剣に聞くもの、とまでは言わないまでも家のテレビやラジオに耳を傾けるもの。街を歩きながら聴くなんて想像すらしていなかったのだ。

 

処が結果は皆さんよくご承知の通り。ウオークマンは空前のヒット作となり、各社慌てて類似商品を作ることになった。満を持して松下が売り出した商品は(CMにサザン・オールスターズを起用したくらいだから本気度が分かる)その名もナショナルウェイ。今は社員でも覚えている者は少ないだろう。

 

 

松下電器音響グループの入社式で担当の藤岡取締役はこんな挨拶をされた。

「昔から日本人は画質にはあまりこだわらないが、音にはこだわる人が多い。だから君達の活躍するフィールドは限りなく大きい。」

 

確かに古来日本人にはそんな側面があった。虫の声やせせらぎの音、そよ風が草花を揺らす音も風流の楽しみのひとつとした。我らがオーディオの世界でも目標は「目の前で奏者が演奏しているような」音の再現であった。反対に画質に関してはあまりリアルだと気持ち悪がられ、絵画でも日本画では写真のような精緻な画は好まれなかった。

 

ところが今はどうだ。情勢が全く逆転してしまった。画質進歩の詳述は省くが、音質はむしろ退化しているのではないか。今更になってLPレコードの音が一番良かったって、一体今まで何をやってきたのかと言いたい。

 

何度も書いているが我々世代が中学、高校に進学した時の欲しいもののトップはステレオだった。実際私の友人の殆どもそれなりのコンポを所有していた。だが今でもオーディオが趣味だという者は一人もいない。そればかりか「音なんか聞けたらいい。」などと言う始末。情けない。

 

確かにあの頃と違って今は動画もある、ゲームもある、ネットサーフィンもする、音楽ばかりに時間は割けないかも知れない。今の若い人はながら聞きが当たり前だろう。だが思い出して欲しい。音楽を聴く薬師丸ひろ子さんの眼から流れた涙にキュンとしたことを。我々は真の意味での音楽の力を知る最後の世代かも知れない。