昔の人はもっと貪欲だった

2、3年前日本チャップリン協会会長の大野裕之さんの著書について出版社に問い合わせた処、思いがけなく大野さん直々にご返答を頂き、以来時たまニュースの連絡をくれるようになったのだが昨日嬉しい報せが飛び込んてきた。

 

movies.kadokawa.co.jp

 

チャップリンの映画制作は1910年代から60年代の長きに渡るが主な作品の制作時期は1920年代から40年代に集中している。正に第一次世界大戦から第二次世界大戦そして冷戦に至る世界の動乱期だったし、彼の映画作りも無縁ではいられなかった。チャップリンは「モダンタイムス(1936 )」の後、ラブストーリーの映画を撮る予定だった。ところが

「あのおそるべき醜怪な化けもの、アドルフ・ヒトラーがせっせと狂気をかきたてているとき、どうして呑気に女の気まぐれに心をつかったり、甘いロマンスや愛の問題を考えたりしていることができるものか!」

(チャップリン自伝より)

 

このこのことが「独裁者(1940)」の制作に繋がったことは言うまでもない。「チャップリンが必要な時代」はけして幸せな時代でないことは確かだが、今我々はそんな時代に生きているのだ。これは何もウクライナ危機だけではないのだが、これについて語るのは今回の本筋ではない。

 

 

今回のリバイバル上映、私が50年前初めてチャップリンに触れた「ビバチャップリン!」の時と比べて上映館が限られているのが残念だが今回は嬉しいことに前回上映されなかった「巴里の女性」が含まれていることは大きな朗報だ。

 

この「巴里の女性」、テレビで何回もチャップリン作品が放送されたが如何なる理由か本作だけは放送されたことがない。しかし私はこの作品こそチャップリンの最高傑作と呼んでもいいのではないかと思っている。関西での上映館は大阪か京都に限られているがこれを見るためだけにでもわざわざ行く価値は充分ある。

 

「ビバチャップリン!」に入っていなかったと書いたが、では私はこの作品を初めて見たのはいつなのか、映画館で見たことがあるのか。記憶がハッキリしないのである。いや、多分映画館では見ていない。初めて見たのは家のテレビだ。

 

京都、大阪まで行く価値があると書きながら何事かとお叱りを受けそうだが、弁明を言わせてもらえばあの頃は皆もっと真剣にテレビに対峙していたと思う。これは私だけの考えではない。ある著名な音楽評論家も昔の聴衆はもっと真剣に何かを求めて聞きに来ていたと述べていたし、皆さんも昔のニュース映像で見たことがあると思うが力道山の街頭テレビに集まっている群衆の真剣な眼差しは正にそのことの証拠ではなかろうか。

 

何しろ昔はビデオがなかった。見たければ今放送されている番組を生で見るしかなかった。スマホやパソコンのような集中を削ぐようなものもなかった。今テレビで映画を見ている間はスマホを触らない、という人はどれだけ居るだろう。皆無に近いのではないか。

 

なに、私は映画館によく行く?昔の映画館にはポップコーンなどという菓子は売ってなかったぞ。それに何だ、あのカップルシートとか言うふざけた設備は。あんな席に座って映画に集中出来るのか。もし昔からあったとしても私には無縁なんだぞ。(泣)

 

話が関係ない方に進みそうなのでここで筆を擱く。

 

「巴里の女性」についてはまたの機会に。