号外 桑原和男さん死去

萩本欽一さんが晩年のチャップリンに会った際のエピソードは有名だ。何とかスイスのチャップリン邸に辿り着いたが門番が頑として入れてくれない。「彼は誰ともお会いになりません。」3日ほど押し問答が続いた挙げ句、諦めて帰り支度をしながら叫んだ。「チャップリンがこんな冷たい人とは知らなかった!貴方の映画は全部ニセモノだ!」

 

すると白髪の老人が邸宅から現れた。チャップリン正にその人。萩本さんの大声に驚いて出て来たらしい。その後萩本さんは宅内に招き入れられ夢のような時間を過ごすことになる。後に萩本さんは語っている。「やっぱりチャップリンは映画のままの人でした。門番の人は年老いたチャップリンを見せたくないので勝手に気を遣っていたのでしょうね。」

 

 

吉本新喜劇桑原和男さんが亡くなった。https://www.chunichi.co.jp/article/746900

 

○歳代の女の子は全員ピンク・レディーの歌を振り付けで歌える、○歳代の男の子は野球をする時皆で王か長嶋の背番号を奪い合った。ステレオタイプで語られることの真偽はさておき、私達の小学生時代の土曜日は吉本新喜劇を見てから公園に集合、というのは紛れもない事実だった。(ついでに言えば昼飯は自分で作る日清焼きそばが多かった。)

 

桑原さんは花紀京さんや岡八郎さんのようなトップスターではなかった。プロレスで言えば花紀さんや岡さんが馬場、猪木とすると吉村道明のような存在だった。試合巧者で誰と組んでも見栄えのあるファイトでファンを魅了した。

 

笑いの本質はドタバタ喜劇にある。チャップリンの映画を見ると分かるが体操選手も顔負けの運動能力、運動神経の持ち主だ。あれだけスクリーンを縦横無尽に駆け回ったチャップリンだからこそ、晩年の衰えた姿を見せたくないと周りの者が気を遣った。

 

同様に吉本新喜劇も笑いの根幹はドタバタにある。勿論持って産まれたものもあろうが桑原さんは喜劇人には珍しく厳しく自己節制、自己管理に努められたのだろう。80歳を過ぎても舞台に、テレビに活躍された。これは本当に凄いことだ。

 

桑原さんが亡くなって、その頃からの思い出の人がまたひとりこの世から姿を消した。吉本ではあと誰が残っているだろう。間寛平さんは新人時代から知っているのでこの範疇に当てはまらない。そうだ、池乃めだかさんは確かご健在の筈だ。桑原さんのご冥福とめだかさんのご健勝を共に祈ろう。合掌。