昔はこんなではなかった

昨日から東北地方に旅行に来ている。私はどうも飛行機が苦手で何回乗っても(と言う程乗っていないが)心臓がドキドキする。この理由については前にも述べたが、最初の飛行機経験であったヨーロッパ旅行のイタリアでの乗り継ぎで飛行機が故障し、あわや事故という経験をしたこと、もうひとつはアメリカ帰りの東京〜伊丹を利用した、まさに翌日同じルートを飛ぶ日航機墜落事故が起こったことである。旅行記はまた帰ってからにしたい。

 

 

チャップリンは戦前3回、戦後に1回計4度日本を訪れている。戦前の仕事もバリバリこなしている忙しい1930年代に3度も来日したのに対し、戦後の来日は半ばセミリタイアの時代に入っていた1961年の1回のみというのは如何にも少ないように思う。チャップリンが特によく言われているように親日家だったのなら尚の事、あと1回や2回来日していてもおかしくないとも感じる。

 

チャップリンが3度の来日を重ねた1930年代、家の使用人が全員日本人で当時の妻、ポーレット・ゴダードが「まるで日本に住んでいるみたい」と言ったのは有名な話だ。日本人の何が気に入っていたのか淀川長治さんが聞いた話では「日本人は四角い部屋を四角く掃除する。処が西洋人は四角い部屋を丸く掃除する。」と言っていたそうだ。日本人は部屋の隅から隅まで綺麗にするが西洋人は日頃使うスペースしか掃除しない。つまり日本人のけして手抜きをしない完璧な仕事ぶりを気に入っていたのだ。今、この話を聞いて耳が痛くならない日本人はどれだけ居るだろう。

 

戦後来日した時、日本のあまりの変わりように戸惑いと失望を隠せなかったチャップリンだが京都に来て「ここには昔の日本が生きていた。」と安堵したという。一方でチャップリンは戦前の来日時、早くも先のことを予言していたかのようなことも述べている。「日本がいつまで西欧文明のビールスに感染したないでいられるかは問題だ。」(チャップリン自伝より)

 

前にも書いたが私は数年ほど前急に時代劇の面白さに目覚め、今も毎日BSの再放送を見ている。目下の楽しみは三船敏郎主演の「大忠臣蔵(昭和46年)」だ。そんな私だが見るのはせいぜい昭和50年代に作られたものまで。それ以降に作られたものは見る気がしない。何故だろう。けして演技が下手な訳ではないが、何か日本人そのものが平成を機に本質的に変容してしまったように思うのだ。

 

分かりやすく言えば昭和までの俳優には昔の日本人の香りがする。三船敏郎そっくりの侍が本当に江戸の町を闊歩していても不思議ではない気がする。これは本質的なもので演技力云々の問題ではない。

 

ここに私がもっと京都に行っておくべきだったというもうひとつの理由がある。もしチャップリンが今の京都を見たらなんと言っただろう。確かに1961年の京都は昔の面影ご残っていたかも知れない。だが現在はどうか「昔の日本が生きている」と言ってくれただろうか。それが分かっていたからチャップリンは愛する国、日本がこれ以上堕落するのを見たくなかった、だから戦後は一回来たのみで二度と来なかったのではないか。

 

日本人の変容についてはまた明日。