松下電器、山下社長の思い出

ハリソン・フォードが初めて黒澤明監督に会った時、自分よりずっと年長のこの日本人が自分より大きいことに驚いたという。実際はハリソン・フォードの方が3センチほど大きいのだが黒澤の威厳と貫禄がそう感じさせたのだろう。

 

「神さまとぼく」を読了した。こんな面白い本が2年も前に出ていたことを知らなかったとは。

https://str.toyokeizai.net/books/9784492503157/

 

「知らんけど」が今年の新語・流行語大賞の候補にノミネートされたという。何を今更と思うが、このニュースを聞いてある漫才のネタを思い出した。残念なことに漫才師の名前は思い出せないが。

 

「いやぁ、僕は吉永小百合さんとは古い付き合いでね。今でも毎日のように会ってますよ。」

「エェッ、吉永小百合さんと!で小百合さんはあんたのこと何て呼びますの?」

「誰が知り合いて言うた?小百合さんが僕のことなんか知ってるわけないやないか!」

「でも、あんた毎日会ってるて言うたやないか。」

「テレビで毎日会ってるんや。」

 

 

私も山下元社長とは浅からぬ因縁がある。向こうが知らんだけで。

 

私は昭和57年入社、山下社長は61年に退任されているので大半の同期組はそれこそ入社式の時にはるか遠くから見ただけ、と思う。何しろ私たちの頃は大卒高専卒の本社採用だけで1000人近く居て、入社式も体育館で行なわれていた位だったから。ところが・・・

 

①最初に配属されたステレオ事業部に海外からの賓客があり、お出迎えに山下社長が来られていた。玄関近くの会議室で待機されていた山下社長が何かの用で部屋から出て来られたところを偶然私が通りかかりぶつかりそうな距離でお姿を拝見した。時間にして僅か2、3秒のことだが今でもその時のことはハッキリ覚えている。 

先ず思ったのはうわッ背が高い!ということ。後年なにかの本で172センチと知った。大正生まれの方にしては随分高身長だが私と同じくらい。黒澤明監督に初めて会ったハリソン・フォードのように威厳がそう感じさせたのだろう。それと何と言ってもスリムで背筋がシャキッと真っ直ぐだったことも印象深い。カッコイイ!思わず叫びそうになった。

 

②それから2、3年後。本社出張の折。構内で黒塗りの車と横断歩道で出くわした。タイミング的にどちらが止まっても良かったが来客かも知れないので歩行者の私が待った。車も一瞬止まりかかったが通り過ぎる際に見るともなしに後席を覗くと何と山下社長がこちらに向かって車内から頭を下げてくれているではないか!普通これだけの大会社のトップなら後席でふんぞり返っていてもおかしくないのに。その時の感動たるや、今スマホで思い出を入力しながらも胸がいっぱいになる。

 

③昭和60年、山下社長が事業部長をされていたエアコン事業部に転勤した。その時はまだ多くの人が山下事業部長を覚えており、いくつもの思い出話を聞いた。とにかくあの人はよく現場(工場)に足を運んでいたということと、中でも印象深いのは山下事業部長が社長就任の命を受け転出する時、多くの女子社員が泣いていたという話だ。女性に好かれるというのは並大抵のことではない。(これは自信を持って言える。)

 

やはり一流の経営者になる人は一流の人たらしなのだとつくづく思う。

 

私も組織のトップは無理だったのでせめて亡くなるときは家族に泣いてもらえるような生き方をしなければ。