大体に於いて、我々は古い記憶ほど美化しがちだ。勿論、中には正しいものもあり、今後日本で如何なる国際的な催しが開かれようとも1970年の大阪万博以上のものは考えられない。これは恐らく真実だ。
古いものほど美化する、その良い例が「我々の若い頃は〜。」という言葉でこの言葉を鬱陶しいと思いながら聞いている今の若者たちも何年かすればきっと同じことを話すようになるだろう。
スポーツの世界でもこの類の話はよく聞かれる。中には金田正一投手の「わしは160キロは軽く出てた。」のように自らを持ち上げる場合もあるが、例えば「大谷も凄いが、もし長嶋が全盛期に大リーグに行っていたら間違いなく三冠王を取っていた。」なんてことを真剣な表情で話す者も居る。本気かね。
こういった今昔の比較は相撲のような格闘技になるとより一層激しさを増す。「白鵬も強いが貴乃花の敵ではない。」、「例え貴乃花でも北の湖には電車道で持って行かれるさ。」、「いやいや、戦後最強横綱は大鵬で決まりでしょ。」のように。
今この本を読んでいる。https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917085
姉が沢田研二さんのファンだった(というか当時彼のファンでなかった女の子なんて居ただろうか?)ので、私も年齢の割には詳しい方だと自負しており、興味深く読んでいる。
私にとって沢田研二さんは歌手の側面も大きいが、俳優としても大きな存在だ。何より和歌山県田辺市の電器店を舞台にした映画「幸福のスイッチ」が忘れられない。私は幸いこの映画の上映会で安田真奈監督の話を聞く機会に恵まれたが印象的だったのは沢田研二さんのギャラ(1日あたりの拘束料)が飛び抜けて高いので真っ先に沢田さんの出演シーンを全部撮り終えたというエピソードだ。
ただ、この本にもやはり古い記憶を美化したがる傾向が少なからず見受けられる。例えばこんな文章が出て来る。
「ピンク・レディーという怪物アイドルが出て来て皆が戦意喪失している中、唯一対抗できたのがジュリーだった。」
そうだったかなあ。皆が戦意喪失という部分は全くその通りだと思う。キャンディーズなんかピンク・レディーが登場しなかったらもっと生き長らえただろう。それは間違いない。でもジュリーがピンク・レディーと互角に対抗していたかと問われると首を傾げざるを得ない。私の実感で言えば全盛期のピンク・レディーの前では全ての歌手が「その他大勢」だったように思う。
(因みに私が50数年テレビを見てきた中でこの人ちゃんと寝れてるのだろうかと真剣に心配になったのはたった二組、ピンク・レディーと笑福亭仁鶴さんだけだ。)
話を相撲に戻す。私も体格からして白鵬あたりが最強ではないかと思う気持ちが強いがその白鵬がビデオを見て「この人には勝てる気がしない。」と唸った力士がいる。第35代横綱双葉山だ。私は白鵬が相撲の神様、角聖と呼ばれる双葉山だからといって気を遣ったのではないと思う。では白鵬は何故そう思ったのか。
白鵬いわく「双葉関は土俵に上がっていざ、勝負という時も全然表情が変わらない。ずっと仏様のような穏やかな顔をしている。そこに底知れない強さと怖さを感じる。」さすが名人よく名人を知るだ。
双葉山がこの域の力士を目指したのは若い時に聞いた「木鶏の話」の影響が大きい。
少し長いが読んで欲しい。
続き、次回。