富士山、そして京都

大変面白いページを見つけた。

https://www.lvtaizen.com/1348/

感想は各自で。

 

 

先日、近くの熱帯魚店を訪れた。熱帯魚店はどこでもそうだと思うがひとつひとつの水槽をヒーターで温めるのではなく、店全体を暖房している場合が圧倒的に多い。その方が効率が良いからだ。処がその時は店内に入ると少しヒンヤリする。もしやと思って聞くと「冷房してますよ。」やっぱりそうか。「このくらいの温度だと魚はまだ大丈夫だけど、水草が枯れますのでね。」

 

何たる事、遂に熱帯魚を飼うのに冷房しなければならない時代になったのか。

 

リニア大阪延伸37年は困難

https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230419-OYT1T50169/

2037年か。生きていれば私は78歳。勿論その頃も元気でありたいが、保証はない。「そんなの私らでも分かりませんよ。」心優しい若者は言ってくれるだろう。有難う。でも確率がねえ、って素直に喜べよ。

 

富士山登山規制検討。

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20230802/1000095452.html

 

勿論、年長者ならではの良いこともあってこの富士山が今ほどの大人気になる前に登山出来たのも年の功のお蔭だ。たまにテレビで見るが今の富士山はどうだ!まるで平安時代の「蟻の熊野詣」そのものではないか。あれだけ前も後ろもギチギチだと自分のペースもあったものではない。登山に於いて、いやウオーキングやランニングも同じだと思うが自分のペースで進めないと非常に疲れが溜まる。

 

その点、私が富士登山した1985年は良かった。丁度裾野で団体生活を送っていたこともあり、当日の朝急に思い立ち、仲間を募って朝の10時頃新五合目に到着、八合目で昼(うどん)を食べて登頂(ちゃんと最高峰の剣ヶ峰まで行ってきましたよ!)、そのまま一気に駆け足で下山して寮の夕食時間までに戻って来た。今思えば服装も靴もあり合わせ、よく無事に、と今更ながら神様に感謝する。

 

その富士山に負けず劣らずの人気があるのが京都だ。これもテレビで見るだけだがあの人出は行く気を失わせるに充分だ。私は京都のお隣の滋賀県に20年以上住んでいた。滋賀県の南部と京都は本当に近い。和歌山市海南市くらい近い(どうでもいい?すまん)。何故もっと京都に行っておかなかったのか。しかもその頃の京都は今ほどの混雑はなかったのに!子供がまだ小さかったのでショッピングセンターや遊園地に行く方が大切だった?嘘つけ。京都でも三条のJEUGIA本店とか四条のタワーレコードにはよく行っていたくせに。

 

聞いた話だが関西以外、特に東京の人が京都に抱く憧れの念は我々関西人の想像を遥かに超えているらしい。我々関西人の京都に対するイメージと言えば、

①飯が不味くて高い。

②大阪に比べたら田舎。

③奈良ほどの歴史がないくせに偉そう。

といった処ではないだろうか。

 

あっ、そうか。滋賀県に住んでいた頃の私は京都に対してこんなイメージを持っていたから行きたいとも思わなかったのか。それがメディアの中心がより一層東京に集中する、新しく開局したBSの番組がやたらと京都を取り上げる。等々の影響で知らず知らずの内に京都を過剰評価するようになっていたのだ。そうに違いない。

 

東京のマスコミさんたちよ、次は我等が和歌山を大々的にPRしてくれませんかねえ?

 

おーい、聞いてる?