高野山と松下電器

2回も続けて会社のことを書くのはどうしたことか。結婚のお祝いに上司から貰った電子手帳で仕事運を占ったら「上司に恵まれず不遇」と出て、上司とふたり大笑いしたことは前に書いた。残念にもこの占いは当たっていたが。でも仕事や上司は別にして会社そのものは今でも好きだし、そこに在籍していたことは私の数少ない誇りのひとつだ。

 

高野山は地元ということもあり、何回か行ったことはあった。だが、もうひとつの霊山、比叡山は私が滋賀県に転勤その後結婚し、妻の両親と行ったのが最初だから30歳を過ぎていた。今は知らないが高野山に比べ地味、人も少なかった。ただ一つ大いに印象的だったのは山内の建物に比叡山で学んだ学僧の絵と名前の額が飾られているのだが、そのメンバーの豪華なこと!法然親鸞道元栄西日蓮etc。およそ日本仏教開祖のオールスター勢揃いの感があった。

 

丁度その頃、会社で若手社員対象の論文応募があった。その時書いたがタイトルと今回同じ「高野山松下電器」である。

 

私は何を思ったか。簡単に言うと、上記の通り比叡山では多くの仏教人が育っていった。鎌倉仏教は比叡山の存在なしでは考えられない。一方、高野山で学んだ僧から彼等に匹敵するような人物が出たか。出ていないとすればその理由は何か。開祖が偉大過ぎたことがその理由ではなかろうか。松下電器の創業者は言うまでもなく松下幸之助氏。

 

最澄空海を比べるつもりはないが、最澄はあくまで仏教という範疇の中での傑物。一方の空海は仏教に留まらず極めて広範な分野で偉大な足跡を残した文字通りのスーパースター。長い世界史の中でも彼に匹敵するのはレオナルド・ダ・ヴィンチくらいではないかと言う人もいる。簡単に後継者など育つべくもない。松下電器も同様の危機があるのではないか、概ねそのような事を書いた。

 

最近、松下電器(パナソニック)の株価が持ち直してきて少しではあるが益が出ている。そのこと自体は嬉しいが、株価が上がってきたのが社長交代の発表と同時期だったことには少し複雑な気持ちも残る。今の津賀社長は就任時、山下社長以来の期待が持てる経営者と評されていただけに尚の事だ。

 

ここでも私の言う事は時代を先取りし過ぎていたようだ。