生き残る店

聞きたいことがあって銀行に電話するといつも担当してくれていた人が転勤したとのこと。連絡くらいしろよ。まあ、それ程のVIP客とは見られていなかったのだろう。幾分不機嫌な気持ちで出がけに郵便受けを覗くと「特定記録郵便」という馴染みのない封書が届いている。開けるとなんと先日応募したエバ・グリーン(エバ)x月桂冠酒造の合同キャンペーンの当選通知書と商品券1万円分が入っていた。人間の小さい私はたちまち機嫌が良くなったことは言うまでもない。

 

これを読んでくださっている皆さん、エバ月桂冠よろしく。

 

正直言って私はこの種のあたり物には比較的運がいい。前にも書いた「神秘十字線」が両手にあるお陰だろう。

https://www.balangan.jp/wp/column/shinbizyuusen/#:~:text=%E7%A5%9E%E7%A7%98%E5%8D%81%E5%AD%97%E7%B7%9A%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E7%9F%A5%E8%83%BD%E7%B7%9A%E3%81%A8%E6%84%9F%E6%83%85%E7%B7%9A,%E3%82%82%E6%9C%9F%E5%BE%85%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%80%82

 

商品券の遣い道だが、幸いエバ酒類の品揃えが圧倒的だ。和歌山県民のお酒の全消費量の65%くらいはエバで売られているのではないだろうか。知らんけど。

 

日本で酒のディスカウントが始まったのはいつ頃だっただろう。それまで酒は今の本のようにスーパー、小売店、コンビニどこで買っても同じ値段だった。いや業態の種類だけではない。例えばビールの大ビン1本と言えばキリンもアサヒもサッポロも同じ値段ではなかったか。1985年アメリカに行った時、ビールの値段が店によって、またメーカーによって異なることに驚いたことを覚えているからまだその頃は日本では酒は定価販売だったのだろう。

 

時期ははっきりしないがとにかく日本でも酒の値段がオープンになった。25年くらい前だと思う。当時私は滋賀県に住んでいたが滋賀にも和歌山にも雨後の筍の如く酒のディスカウント店がオープンした。それまではスーパーの片隅、或いは街の小さな酒店しか無かったのが小さなスーパー1店まるごと位のスペースが酒、酒、酒なのである。楽しくて仕方なかった。ディズニーランドに初めて行った時ですら(後にも先にも1回しか行っていないが)こんなに嬉しくなかった。1時間でも2時間でも飽きることがなかった。妻には呆れられたが私も衣料や化粧品の店には5分も居たくない。

 

滋賀、和歌山どちらにも贔屓の店が出来た。会員証も作った。10万円の買い物で千円分の商品券を貰った時は我ながらよく呑んだものよと自分で自分を誉めた。

 

翻って今現在それらの店はひとつも残っていない。我ながら痛恨事なのはそれらの店名を全く覚えていないことだ。滋賀でよく行っていた店のひとつは「むらさき屋」ではなかったかと思うが確信はない。

 

滋賀県の現状は知らないが和歌山にも酒のディスカウントを名乗る店は他にも2.3店ある。しかしエバと比べれば横綱と平幕くらいの差があり、実質エバの一人勝ちと言ってよい。そう言えば滋賀にあった店を思い出した。「リカーマウンテン」という店。これは今でもバリバリの現役店だ。通販サイトでよく見かける。私はリカマンは殆ど利用したことがない。理由は一言、高かったから。

 

その頃エバは既に開業していたのだろうか。和歌山市に出店していたのだろうか。記憶にないところを見るとリカマン同様高かったのかも知れない。現に今でもエバはけして安くはない。皮膚感覚で言えば安い順に10人並んだら3〜4番目くらいだろうか。やはり品揃えが売り上げに大きく貢献していると思う。

 

滋賀、和歌山両県で私が贔屓にしていた店に比べると明らかにリカマンやエバは高い。でもこの両店が残って安かった店が廃業した。

 

この当たりに商売の難しさ、厳しさを感じると共に、もう一度あの楽しかった大型の酒専門店が出来て欲しいと心から希望するものである。