とかく若いときは

特に珍しい事故ではない。今日も日本のどこかで多数発生しているだろう。

https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/amp/1456295

 

私がこの事故を取り上げたのは偶々ニュースで事故を起こした車の車内の音声が入った映像を見たからだ。若い男性の「ヤバい、ヤバい、うあ~。」という生なましい声が入っていた。凍結した道を飛ばした結果だ。今の私ならこんな危ない運転、絶対にしない。いや、したくても怖くて出来ない。

 

かく言う私も今思えば20代の頃、特に研修で富士山の裾野に住んでいた頃は結構、いやめちゃくちゃに無謀なことをしていた。かなり冷え込む所だったがこの運転手同様冬用タイヤなど装着したとはないし、ある時など2台の車でドライブに出掛けたのだが一方の運転者は「俺は120キロ以下で運転したら眠くなる。」なんて怖い事を言う。道に不案内な私は必死の思いで付いて行ったものだ。

 

今なら絶対に考えられないが私の車(5人乗りセダン)に7.8人それも全員酔ってぐでんぐでんの状況で宿舎に帰り着いたことも2回や3回ではない。何故そんなに飲んだか。勿論酒好きというのもあるが、帰り道に通る有料道路の料金所の係員が夜の10時に帰るので、それまで飲み続けよう!・・・一体何を考えていたことやら。

 

当時は今ほど飲酒運転が厳罰ではなかったが、もし検問に会っていたらどうなっていたことか。全員超の字の付く一流企業の社員、もしくは中央官庁のキャリア官僚。うやむやにしてくれたか、マスコミに漏れて徹底的に叩かれたか。もし後者だつたらその後の私の人生も大きく変わっていたことだろう。

 

富士山への登山もそうだった。ある朝突然誰かが(私だったかも知れない。車を持っていたのは私だけだったから)言った。「今日富士山登れへん?」

 

私含め5人で行くことに。新五合目に着いたのが10時頃か。登山用の服や靴など持っている者など一人もいない。ジュース2本買って登山開始。しんどかったとか怖かったという思い出があまりないのも若さゆえか。富士山に登ったのは後にも先にもこれ一回だし、これから登る気力も体力もないから多分生涯唯一の登山行となるだろう。

 

山頂を一周し(日本最高峰富士山剣ヶ峰三七七六米という標識の前でピースサインをする写真が残っている)、下山は殆ど早駆け、スキップ状態だった。足を挫いたらどうしようなど頭になかった。そして夕食前には帰って来た。唯一の誤算はその夜から頭が痛くなったことで、これは余りに急な高低差を降りて来たことによる高山病らしかった。

 

靴も服も登山用ではない、山頂までどのくらい時間がかかるかも知らない、無謀と言えばこれほど無謀な行いもないが、逆にこんな道具が要る、こんな難所がある、この位時間がかかるなどの予備知識があったら登山そのものに尻込みして行こうという気になっていなかったかも知れない。

 

無計画な登山、ましてや危険な運転などもっての外だが長い人生の中では時には後先考えない無鉄砲な行いも必要なのではないだろうか。

 

この言葉、誰よりも若き日の自分、特に異性へのアプローチが全く出来なかった不甲斐ない自分に送ってやりたい。