富士山

大阪はじめ多くの地域でコロナの感染者が急増している。それは日々のニュースで分かるのだが、今ひとつ危機感が伝わらない。ニュースが数字の伝達ばかりに終わっているのが大きな理由だと思う。

 

以前はもっと逼迫している医療現場とか重症化した患者の様子などの生々しいニュースがあり、恐ろしいという印象があった。元阪神の片山選手のビデオなど本当に心が震えるほどの衝撃だった。

 

本当に感染者を減らしたいのなら、この時のような映像を流す方が効果的と思うのだが、もしかして国から放送の自粛要請でも出ているのだろうか。理由は勿論、何が何でもオリンピックを開催したいから。多くの国民が現場を知ってしまったら「オリンピックなんかやってる場合か!」という声が上がる、その事を恐れているのではなかろうか。

 

 

私が初めて富士山を見たのは中学校の修学旅行のバス車中から。その前にも見ている可能性はあるが覚えていない。

 

どこのクラスにもおませな子供が居るもので、もうすぐ富士山が見えると言うのに「富士山なんか所詮エベレストの半分もないやん」などと強がっていた奴がいざ車窓から富士山が見えると「うわっ、凄い」と他の誰よりも興奮していたのはご愛嬌。その10年後その富士山の麓で10ヶ月もの研修生活を送ることになるとは勿論想像もしていない。

 

研修も終わりに近付いたある日、毎日手を伸ばせば届きそうな場所て暮らしていながら富士山に登っていないことに気付き、誰からともなく「今日登ろうぜ!」の声が上がった。若さは無敵だ。

 

私の車で御殿場の新五合目に着いたのが10時頃だっただろうか。メンバーは日本人と韓国人が各2人、中国人1人の計5人。ちゃんとした登山服、登山靴の者など誰もいない。

 

登ったのは7月か8月で五合目ではアイスや冷たいジュースが売られていたが八合目の休憩所からは暖房されていたのが印象に残っている。皆で熱いうどんを頬ぼる写真がある。

 

全体を通じると八合目の休憩所が一番大きかったが九合目の休憩所には簡易の宿泊施設があった。ご来光を拝みに登る人向けとのこと。納得。

 

山頂に着き、大きな外輪を廻って「日本最高峰富士山剣ヶ峰三七七六米」の看板に辿り着いた時は流石に感慨深いものがあった。(本当にそう思ったのだろうか?馬鹿と煙は何とやらだけだったのかも知れない。)

 

帰りは速かった。皆で坂を駆け下りるように新五合目まで帰ってきた。特段キツイとか、脚を痛めることも無かった。ただその夜急な頭痛に襲われ毎夜恒例の酒盛りに参加できなかったことだけが残念だった。自室で横になっていると酒盛り場から声が聞こえた。

「今日は○(私)、どうしたん?」

「何や頭痛い言って寝てるわ。」

「急いで登り降りしたので高山病になったのと違うか?」

聞きながら安心した。次の日は全くの元通りに回復していた。

 

若いことの有難さは何物にも代え難い。