おもろうてやがて悲しき

https://news.yahoo.co.jp/articles/d1eaf3c295dfdc711109c482aee51456b3810fc3

もういい加減にして欲しい。

「可愛いので名前を間違った。」

これのどこが問題なのか。唯一考えられるとすれば、その間違えられた当事者がとんでもないブスで明らかな皮肉、当てつけを言われたと感じた場合のみだろう。

 

会社の先輩に聞いた話だが、昔はお偉方が工場視察等に来た時はラインの前の目立つ所に美形の女性を配置していたそうだ。とんでもない、今なら考えられないとお怒りになるか?それなら逆に聞きたい。会社の受付、ショールームの係員、揃って美形なのはただの偶然か?テレビ局のアナウンサーにせよ、金融機関の社員にせよ規模の大きい所ほど美人度も高いのは私の思い違いか。

 

高校野球中継の合間で明らかにマークしていたかのように可愛い女子高生が映るのはただの偶然か。少なくともビールを飲んでいるおっさんが映ったことはないぞ。

 

 

往年の大指揮者、ピエール・モントゥーは自身のオーケストラに女性を入れない理由を聞かれ

「美人が目の前にいると気になるし、ブスだともっと気になる。」と言った。

これは多分違う理由があると思うのだが、長くなるので又の機会にする。

 

 

今日の読売新聞日曜版に芭蕉の有名な句が取り上げられていた。

http://www.basho.jp/senjin/s0606-1/index.html

 

私はふたつ思い違いをしていた。ひとつは鵜舟を鵜飼と思っていたこと。もうひとつは「やがて悲しき」の理由がここにあるような宴の後に感じる物悲しさではなく・・・。

 

長良川ほど有名ではないが私も有田川の鵜飼を見たことがある。最初は鵜のハンティングの業に心を奪われていたが、段々と鵜が可哀相になっていくのに時間は掛からなかった。ご存知かと思うが鵜が捕まえた魚を飲み込まないように喉元にかなりキツく紐が巻かれている。どれだけ捕まえても全部鵜匠に取られてしまうのだ。大人だったら手柄を横取りされるサラリーマンの悲哀を感じたかも知れないが当時私はまだ小学生、とにかく鵜が可哀相でならなかった。芭蕉の句も勿論知らなかった。

 

 

 

「ここで作者の言いたかったことは何でしょう。」私の一番苦手かつ嫌いな国語の問題。作者でもないのにそんなもの分かるか!

 

私がそう感じたもうひとつの理由は当時から有田川の鵜飼の客が少なかったこと、川沿いにネオンのひとつある訳でもなく始まりも終わりも静けさにそれ程差がなかったこともあるだろう。

 

チャップリンが1961年最後の来日をした時、安っぽい見せ物に成り下がった長良川の鵜飼を見て大きな失望を覚えたというのは有名な話だが、是非有田川の鵜飼を見て欲しかったなあ。