これではやる気もなくす

価格.com - アサヒビール スーパードライ 350ml ×24缶 レビュー評価・評判

 

何を隠そう、私が書いたアサヒスーパードライの商品レビューである。残念ながら(⁇)今でも飲食店に於けるスーパードライの占有率は圧倒的に高い。そしてこのレビューを書いた頃ほどスーパードライを不味いと感じなくなっている自分がいる。多少は旨くなっているのかも知れないが、私の舌が退化したのだろう。

 

ここにも書いているがアサヒのスーパーイーストは旨かった。酒好き友達の間で今でも話題に上るくらいだ。エビスビールはマンガ美味しんぼで紹介されているのを見て買った。少し高めだっだったが旨さに感動してこればかり買っていた時期もあった。辞めたのは酒のディスカウントが始まり、値段差が無視できないほど広がったからで、久しぶりに買ったエビスは全くの別物に成り下がっていた。

 

スーパーイーストがすぐ廃番になったのはコストが合わなかったからだろうと推測されている。発泡酒や新ジャンルにも私が旨いと思ったものはいくつかあった。サッポロの雫や最近ではサントリーの頂など、これがある限り浮気をすることはないだろうと思えるくらい気に入っていたが、どちらも短期間で姿を消した。スーパーイースト同様、予算が合わなかったのだろうか。だとすれば私の舌も確かなのかも知れない。

 

半年前、2020年10月から新ジャンルの酒税が上がり、一方ビールのそれは下がったので値段差は縮まった。ある政治家が「国民によいものを楽しんでもらうため」などと言っていたが、それこそ「余計なお世話」だ。

 

ビールメーカー各社は新ジャンル範疇の原料でのより一層美味しい商品作りに励んできたし、我々もそれを歓迎していた。それをお上の一方的な事情で値上げされたら溜まったものではない。

 

デート前に必死にダイエットして行ったら「私、太目の方が好き」と言われたようなものだ。違うか。デートもダイエットも経験はないので大目に見て欲しい。

 

幸い、私の晩酌の中心はチューハイと日本酒に変わっていたので影響は少なかった。

 

このことは次項に。

 

昭和プロレスを語ろう!

これは私だけかも知れないが音楽(CD)は同じ曲、同じ演奏であっても何回でも聞きたくなるのに、本は一度読んだら充分、2度3度と読みたくなることは滅多にない。

 

良いことが悪いことかの論議はさておき、新刊本、それもベストセラーであればあるほど図書館が買ってくれる。リクエストも出来る。勿論何十人待ちになることも少なくないが急ぐ理由もなし、そういう訳で図書館を頻繁に利用し始めてからのここ10年くらいは新刊本を書店で購入したことは殆ど無い。

 

勿論中には例外もあって、

https://kosaido-pub.co.jp/books/%E6%96%B0%E6%9B%B8/%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8D%E3%81%86/

 

たまたま書店で見かけ「これは買うしかない!」と即決。図書館へのリクエストももどかかった。

 

本当に面白い本はゆっくり読むのに苦労する。私も2.3そういう経験があるがこの本もまさに同様。何とかベースを抑えて今半分位読み終えたが開くページ、開くページ、懐かしさと新しい発見の連続で胸がいっぱいになる。

 

学生の頃、女の子に声を掛ける勇気もないくせにデートの本などを読み耽った中に「デートで出してはいけない話題」として「ジャイアント馬場はいつ引退するか」が挙げられていて思わず吹き出した覚えがある。そうか、もう40年以上前から馬場さんはそういう風に見られていたのか。馬場さん30代後半〜40代前半の頃だ。結局馬場さんほ現役のまま61歳で亡くなるのだが。

 

かく言う私だがプロレスを生で見たのは一回だけ。小学校高学年の時。来日していた外人レスラーが誰だったのか、誰と誰が対戦したのか一切覚えていない。覚えているのは試合開始前、プログラムを買いに行った時レスラーのグレート小鹿さんが売り子をしていて私が「ひとつちょうだい。」と言ったら「ぼく、ひとつって言えへんで、一冊言うんやで。」と笑顔で訂正されたこと。

 

もうひとつは馬場さん。入場の時すぐ近くに駆け寄った。209センチの大巨人、憧れの眼差しで見上げられることを期待していたが、当の馬場さんは控室から背中を丸めたまま花道を早足でリングまで向かったので、うわー大きい!と感じる時間もなかった。かろうじてガウンの端に触れたくらいだった。

 

生でプロレスを見たのは後にも先にもこれ一回だ。

マツゲン本店閉店

自宅は50年ほど前に親が建てた家だ。立地の良さと広さは申し分ないが、今となっては思慮の古さが目立つ。エアコン用の壁穴がひとつもなかった。当時は扇風機だけで充分夏を乗り切れたのだろう。駐車場も1台しかない。3〜4台分位のスペースはあるが。もっとも当時は車のある家そのものが珍しかった。

 

車が無くても困らなかったもうひとつの理由は当時は多くの店が近隣にあり日常生活、何事にも便利な場所だったことも大きい。

 

 

松源本店4/18で閉店。

http://www.matugen.co.jp/news/2021/04-03_honten_closed.html

 

和歌山発祥で県内以外にも大阪、奈良にも広く展開するスーパーの第一号店が姿を消す。調べると開店が1961年。物心ついた頃からあった店舗がまたひとつ消えるのは寂しい。

 

老舗の百貨店が閉店する時のニュースで満員の客が押し掛け「寂しい、続けて欲しい」などと言うのを見て、寂しけりゃもっと店を利用してやれば良かったではないかと悪態をついていたものだが、かく言う私も松源の熱心な利用者ではなかった。

 

松源は徒歩10分位の場所でそれだけ取れば充分便利な場所なのだが、昔は徒歩5分圏内に黒門市場があり、松源以上に新鮮な魚、野菜が安価で手に入った。食料品店だけではない、家から20〜30メートル内にタバコ屋があった、お茶の専門店があった。和菓子屋があった。乾物も扱う菓子屋があった。もっともここで買う食料品、賞味期限切れのものも少なくなかったがそんなこと、誰も気にしていなかった。

 

近隣が一番賑わったのは90年代後半頃か。イズミヤを始めモスバーガー、おはぎの丹波屋、小僧寿し等々全国にチェーン店を展開する大手の店が軒を連ねて徒歩5分圏内に出店した。

 

今挙げたそれらの店、全て今は無い。マンションや一般住宅に変わっているのはまだいい方。中には当時の閉店時の空きビルのままの建物も少なくない。

 

松源本店は日赤医療センターの正面。父親の入院中もよく利用した。閉店後は何になるのか知らないが、困る人も多いのではないか。

 

幸いなことに松源そのものの倒産ではないが、閉店日には訪れようと思う。

SNSで精子取引が急増…規制なく無法状態

二階幹事長が東京オリンピック中止の可能性に言及した。何が何でも強行に突き進むと思っていたがアドバルーンとは言え「ひょっとしたら本当に無理かも?」という声が出て来たのだろう。選手は本当に可哀相だが、国民の健康と天秤にかけられるような問題ではない。どの道開催しても、しなくても海外からは叩かれる。滋賀県に住んでいた頃、大雪でバスが止まっていたのでやむなく会社を休んだ。翌日、上司から嫌味を言われたが無理に行って途中で事故に合っていれば一番痛い目に遭うは自分自身。それと同じだ。

 

 

https://www.yomiuri.co.jp/national/20210416-OYT1T50093/

何とも重いテーマでいい加減な論評は出来ない。幸いなことに、私の家系は皆子宝に恵まれているので、この悩み、苦しみは分からない。更には今のご時世信じられないことだが新聞の人生相談などを見ると子供の出来ないことを義父母になじられる例も少なくないようだ。

 

このニュースで思い出したのは、新婚旅行中に海外でレイプされた花嫁の事件だ。

 

帰国後間もなく妊娠が分かり出産したのだが、生まれてきた子供の肌の色が…。この女性にとって更に悲劇だったのはレイプされたことを自身から男を誘ったとの疑いを掛けられたこと。噂はあっという間に広がり、嫁ぎ先、実家どこにも身の置き所がなくなり、最後は母子無理心中という最悪の結末となった。

 

何十年も前に聞いたニュースだが余りに悲惨で忘れられない。

富士山

大阪はじめ多くの地域でコロナの感染者が急増している。それは日々のニュースで分かるのだが、今ひとつ危機感が伝わらない。ニュースが数字の伝達ばかりに終わっているのが大きな理由だと思う。

 

以前はもっと逼迫している医療現場とか重症化した患者の様子などの生々しいニュースがあり、恐ろしいという印象があった。元阪神の片山選手のビデオなど本当に心が震えるほどの衝撃だった。

 

本当に感染者を減らしたいのなら、この時のような映像を流す方が効果的と思うのだが、もしかして国から放送の自粛要請でも出ているのだろうか。理由は勿論、何が何でもオリンピックを開催したいから。多くの国民が現場を知ってしまったら「オリンピックなんかやってる場合か!」という声が上がる、その事を恐れているのではなかろうか。

 

 

私が初めて富士山を見たのは中学校の修学旅行のバス車中から。その前にも見ている可能性はあるが覚えていない。

 

どこのクラスにもおませな子供が居るもので、もうすぐ富士山が見えると言うのに「富士山なんか所詮エベレストの半分もないやん」などと強がっていた奴がいざ車窓から富士山が見えると「うわっ、凄い」と他の誰よりも興奮していたのはご愛嬌。その10年後その富士山の麓で10ヶ月もの研修生活を送ることになるとは勿論想像もしていない。

 

研修も終わりに近付いたある日、毎日手を伸ばせば届きそうな場所て暮らしていながら富士山に登っていないことに気付き、誰からともなく「今日登ろうぜ!」の声が上がった。若さは無敵だ。

 

私の車で御殿場の新五合目に着いたのが10時頃だっただろうか。メンバーは日本人と韓国人が各2人、中国人1人の計5人。ちゃんとした登山服、登山靴の者など誰もいない。

 

登ったのは7月か8月で五合目ではアイスや冷たいジュースが売られていたが八合目の休憩所からは暖房されていたのが印象に残っている。皆で熱いうどんを頬ぼる写真がある。

 

全体を通じると八合目の休憩所が一番大きかったが九合目の休憩所には簡易の宿泊施設があった。ご来光を拝みに登る人向けとのこと。納得。

 

山頂に着き、大きな外輪を廻って「日本最高峰富士山剣ヶ峰三七七六米」の看板に辿り着いた時は流石に感慨深いものがあった。(本当にそう思ったのだろうか?馬鹿と煙は何とやらだけだったのかも知れない。)

 

帰りは速かった。皆で坂を駆け下りるように新五合目まで帰ってきた。特段キツイとか、脚を痛めることも無かった。ただその夜急な頭痛に襲われ毎夜恒例の酒盛りに参加できなかったことだけが残念だった。自室で横になっていると酒盛り場から声が聞こえた。

「今日は○(私)、どうしたん?」

「何や頭痛い言って寝てるわ。」

「急いで登り降りしたので高山病になったのと違うか?」

聞きながら安心した。次の日は全くの元通りに回復していた。

 

若いことの有難さは何物にも代え難い。

 

 

 

厳しい時代?2

大学生の運転免許証は取ったものの、まだ買うことなんて全く考えていない頃、よく友だちと連れ立って車を見にディーラーに赴いた。今思えばさぞや迷惑だっただろう。買う資金は全くない、かと言ってぞんざいな扱いをすると親に言い付けられるかも知れない。

 

その中でも我々は性質(たち)が悪かった。「この車は後席が狭い」とか「この車はバックミラーが見えにくい」など勝手に好き放題評論したり、買う気もないのに見積もりしてもらったり。

 

そんな商談?で「マツダでは○万円値引きしてくれたけど。」私の言葉に「そりゃ三越ダイエーでは同じには出来ません。」某トヨタディーラーでの返答だ。当時、マツダのブランドイメージは非常に低く、値引きで勝負しないと売れなかった。「マツダ地獄」なんて言葉もあった。一度マツダの車を買うと、買い替えの時マツダ以外ではまともな値段の下取りをしてもらえず、ずっとマツダ車に乗り続ける羽目に陥るというもの。

 

安物買いの象徴でしかなかったシャープやマツダが何をきっかけにブランドイメージを向上させたのだろう。前者は液晶テレビアクオスだろう。家にもあったが「世界の亀山ブランド」のシールが眩しかった。

 

車や家電だけでなく食料品も同様だが、また後日。

厳しい時代?

「クイズ99人の壁」に女優の片瀬那奈さんが出ていた。ジャンルは「アイリスオーヤマ」。何でも家電でオファーした処、アイリスオーヤマなら受けると返答したとのこと。

 

時代も変わったものだ。50代以上の方なら覚えていると思うが昔は女優やアイドルが好きな食べ物と言えばフルーツかプリン。汚い話で恐縮だが「アイドルはウンコなんかしない」と真剣に思っている人が大勢居た。

 

それが今では好きな食べ物は焼き肉、趣味は競馬と麻雀なんて堂々と言うアイドルも珍しくない。

 

家電も同様だ。昔は嫁入り道具(この言葉も死語に近いが)と言えば東芝か松下。シャープや三洋だとケチった印象が付きまとった。ましてアイリスオーヤマなんて「安かろう悪かろう」の典型。とてもではないが他人の面前でファンなどとは言い難い会社だった。

 

ブランドではなく製品の価値で評価される時代になったのはいいことか、良くないことか。この項続く。