グレート小鹿さん

作曲家の鈴木惇さん死去。伊東ゆかりさんの「小指の想い出」いい曲だったなあ。八代亜紀さんの「なみだ恋」名曲だったなあ。ご冥福をお祈りします。

https://news.yahoo.co.jp/articles/345054a5a09b73d0b0208616c8fb747f67310c3b

 

暇なので(いつも暇だが)、和歌山市民図書館に行った。立派な施設を作ってもらって言いにくいのだが市の、というよりある意味県の玄関口でもある駅の中心施設が図書館ってどうよ、という気はある。百貨店や大型商業施設には来てもらえなかったのだろうか。それに図書館は郊外でも良いから子供連れなどでも利用しやすい駐車場付きがいいんだけどなあ、と言っても始まらない。

 

図書館そのものは他のどの県にも負けないくらい広大だが私の行くコーナーは決まっている。音楽・オーディオ、動物、スポーツ中でも格闘技。その格闘技のコーナーで懐かしい名前のタイトルが目に飛び込んできた。

グレート小鹿の小鹿注意報」

グレート小鹿と言っても私以上世代のプロレスファンでなければ恐らく馴染みはあるまい。調べると79歳の今でも現役レスラーだという。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E5%B0%8F%E9%B9%BF

 

見かけただけ、なら他にも何人か居るが実際に話をした(言葉を交わした)有名人、有名人といっても定義が難しいがウィキペディアに載っている人は3人しかいない。グレート小鹿さん、新婚旅行時、声を掛けてくれたウィーンフィルの元コンサートマスターのライナー・キュッヒル

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%AB

中学で同級生だった本田陽君。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E7%94%B0%E9%99%BD

 

以上である。箕島高校の選抜大会優勝投手も同級生だがウィキペディアには載っていない。

 

ではグレート小鹿さんとはどんな会話をしたか。半世紀以上も前のことだが鮮明に覚えている。

 

日本プロレスの和歌山大会が行なわれ当時小学生の私は会場の県立体育館に行った。勿論立ち見。試合開始前ブログラムを買うため売店、と言っても机と椅子を置いただけの簡易なものだが立ち寄った。わざわざ行ったのには理由がある。時々ジャイアント馬場さんが自ら売り子をしていると聞いたからだ。いざ行くと馬場さんの姿はそこにはなくグレート小鹿さん、他何人かのレスラーが立っていた。

 

「何や、グレート小鹿やんか。」半ばがっかりしながらプログラムを指差しながら「ひとつちょうだい。」すると小鹿さんが言った。

「ボク(私のこと)、これはひとつって言わへんで。一冊って言うんやで。」見ると横のレスラー達も笑っている。

 

正直にその時の感情を言うと愉快ではなかった。「なんでお前に言葉を直されないといけないのか!」と思った。今思うと小鹿さんへの反感と言うより馬場さんを見られなかったことへの失望が大きかったのだと思う。

 

でも今思えばプログラムを買いに来たただけのガキひとりの言葉遣いをわざわざ直してくれるなんて親切な人なんだなあ、あの時の小鹿さんとの遣り取りを思い出しつつ、懐かしく思い出される。出来ればもう一度会ってその時の思い出話など語ってみたい。

 

 

豊かさの実感がない

今日の人生相談(読売新聞)ほど悲惨なものはちょっとない。相談者は60代女性。内容は息子が電車で痴漢冤罪事件に巻き込まれ多額の和解金を取られ、以来何もかもやる気をなくしている、というもの。妻子の為に一生懸命働くことを何よりの楽しみにしていた息子が、という母親の言葉が胸を突き刺す。偽痴漢事件をでっち上げた女は軽い小遣い稼ぎのつもりだったかも知れないが、精神的な殺人罪に近い。

 

 

今読んでいるクラシック音楽の本に私と同世代の著者が子供の頃兄と1000円ずつ出し合ってレコードを買いに行く話が出てくる。そう、LPレコードは40-50年前でも2000円以上、高いものだと3000円近くした。今CDの新譜はいくらするか知らないが当時の2000円である。今とは価値が違う。うちの近くに結構有名なラーメン店がある。今は一杯700円だが当時は200円位だったのではないか。

 

ここ何年も私は新品のCDを買ったことがない。通販か中古店のそれも1枚500円以下のものが大半だ。音楽と共に私が愛してやまないお酒も同じ。昔、酒と言えばビールか日本酒しかなかった。ビールも発泡酒や新ジャンルなんてものはなく、日本酒も紙パック入りの格安酒なんてなかった。その上今は焼酎やチューハイのように更に安くて手っ取り早く酔える酒がたくさん出ている。私はそれらの愛飲者だ。つまり、私の2大趣味に関する限り出費は大幅に減っている筈だ。

 

なのに、である。日頃の生活において余裕が増えた気が全くしないのである。他の出費が増えた?いや、消費性向で言えば昔よりむしろケチになっている。昔は多少高くても好きなものは迷わず買っていた。コーヒーはネスカフェゴールドブレンド。ビールもエビスばかり飲んでいた時期があった。処が今は味や好みは二の次三の次、とにかく価格本位で選んでいる。玉子1パックでも高ければ出直す程だ。昔はそんな事絶対しなかった。

 

収入が減っている?確かにいっとき前まではそうだった。でも2年前個人年金保険を受け取り始めてからはだいぶんましになつている。では2年前より余裕が出たか?そんな気は全くしない。その頃よりむしろ余裕が無くなっている感じすらある。例えば店頭で買うか買わないか迷ったCD、あるいは書籍。2年前なら恐らく買っていたものの決断が出来ず結局帰宅、なんて場合が増えている。これは私だけのことなのだろうか?そうでないとしたら一体何が原因なのだろうか。

 

上に挙げた書籍ではないが私も若い頃月2枚の廉価盤レコードを買うことが定期的な行事になっていた。金額にして3000円前後、今の物価で言えば10000円位に値しようか。今10000円の物を買うとなるとそれなりの心の準備、深呼吸が必要だがその頃はそれ程深刻な心持ちになる事もなく気軽に買っていたように思う。

 

戦後間もない頃に都会で苦労した人の自伝などを読むと「ポケットに1枚しかない100円玉を握りしめて80円のラーメンを食べに行った。」なんていう話がよく出てくる。今で言うと有り金が1000円しかないのに800円のラーメンを食べに行くようなものだ。今そんな事をする人が居るだろうか。なに?ペイペイで払う? 死ね。

 

そうやって考えるとあの頃の人々と今の我々の心の余裕の違いって一体何なんだろう。これは腰を据えてじっくり思索するに値するテーマだと思う。

 

こんなこと言いながら居酒屋で追加注文する時はお金のことなんか何も考えていない。だからグルメサイトなどで紹介されている平均料金の倍近くはいつも掛かっている。

 

 

 

 

 

 

怖い、怖いでは始まらない

和歌山県箕島高校野球部が春夏連覇を成し遂げた1979年、後援会が「栄光への道」という立派な書籍を発刊した。非売品なので本来私は購入出来なかったのだが母親が同校の卒業生なのでその伝で手に入れた。

 

その巻末で尾藤監督はこんなことを書いている。「平凡な選手は試合で活躍することを想像しながら練習します。優秀な選手は試合でどんな事が起こるか考えながら練習します。」

 

先日の和歌山での震度5弱以来、日本各地色々なところで地震が多い。土曜日のニュース番組でもその事を取り上げていた。そこでの解説は

東日本大震災以来日本列島は大地変動の時代に入った。最近頻発している地震もその余波。これからもっと増えると思われる。

南海トラフ地震2035年プラスマイナス5年の間に100%の確率で起こる。最大震度7、30メートルの津波が早いところでは2分で襲ってくる。

南海トラフ地震が起こるとかなりの確率で富士山の噴火を誘発する。富士山が噴火すると首都圏にも甚大な被害が及び日本経済は壊滅する。

 

あー嫌だ、嫌だ。100%なんて言われてしまったら一体どうすれば良いのか。想定内で1番早い2030年でも私は70歳を過ぎている。それでなくても身体のあちこちに老いの影を感じる今日この頃、70歳にもなって避難所での生活に耐えられるだろうか。こう見えても小心者なので自分のいびきに気を遣って間違いなく睡眠不足になる。あっ、それ以前に助かっているかどうかも分からない。そんな大変な日々を送るくらいなら一層Xデーまでに死んでいた方が気楽かも、と弱気な考えも頭をもたげる。

 

妻に半ば真剣に引っ越し話を持ち掛けたが軽く鼻であしらわれた。どうしてあんなに逞しいのだろう。まあ、阪神大震災の時も私が起こすまで気付かなかった位だから南海トラフ地震の時も・・・。それはないか。

 

と、言いながら我が家では家具の固定、防災用具、非常食の準備、何ひとつしていない。起こったらどうしようとばかり考えている。尾藤監督の言う「平凡な選手」と同じだ。天国の尾藤監督に「優秀な選手」と誉めてもらえるよう実戦での備えを考えての準備を始めねば。まあ、来年でいいか。

 

番組で言っていたが地震の備えとして水とチョコレート、ペンライトを持っておくといいとの事。参考までに。

 

 

 

 

モンキーズのマイク・ネスミスさん死去

ビートルズのリーダーは誰か?大抵の方はジョン・レノンと答えるのではないか。正解は「公には表明していない」。

引っ掛けるような質問をしてすまん。

 

モンキーズのマイク・ネスミスさんが亡くなった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/61bbf9cd0492e16463e1f47b81bf454b0bf62bf0

 

モンキーズビートルズ同様リーダーを公表していなかったと思うが当時を知る人にリーダーは誰かと聞くと10人中7.8人はマイク・ネスミスの名前を挙げたのではないか、そんな存在だった。モンキーズのメンバーは4人。他にミッキー・ドレンツ、ピーター・トークデイビー・ジョーンズ。全員フルネームで覚えていた。やはり私は只者ではないな。

 

モンキーズと言えば名曲「デイ・ドリーム・ビリーバー」が有名だが、

https://youtu.be/PCqwyozi25Q 

我々世代にはシンガーというより同グループ名のコント番組で親しみ深い。コミカルなストーリーとアクション、30分という丁度良い短さもあって毎週楽しみにしていた番組だった。

 

元々モンキーズビートルズの余りの大人気にアメリカでも対抗馬を、と作られたグループなのでシンガーとしての大成は望めなかったのだと思う。上記のデイ・ドリーム・ビリーバー以外にヒットした曲と言えばモンキーズのテーマ、恋の終列車・・・。他にどんな曲があったか。ちょっと思い出せない。

 

マイクが亡くなりミッキー以外の3人が鬼籍に入ったことになる。テレビで見ていた小学生の頃は随分年上のお兄ちゃんと感じていたがいざこの年歳になるとほぼ同世代の括りにはいつてしまつていることに愕然とする。子供から見ればどちらも「おじいさん」だろう。

 

日本人にせよ外国人にせよ小さい時から馴染んできた人が亡くなるのは寂しい。

 

 

 

女裝した男が女子トイレ使用

https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211210/2000054932.html

 

ここは個人のプログであるから自分の意見を書くことに何の遠慮も要らないということを承知で書く。

「やめろよ、みっともない。」

SDGSとやらの悪影響がここにも出ている。本当に西欧文化は厄介な問題を持ち込んでくる。困ったものだ。

 

この女子トイレ侵入者が例えばカルーセル麻紀さんのような(例えが古い?)見た目も完全な女性であれば何の問題もなかった筈だ。第一誰も気付かない。見た目は明らかに男なのに女裝しているからと言って女子トイレを使っては駄目そりゃでしょう。同じ理屈で女風呂にも入るのか?

 

世の中に多様な価値観があるのは認められるべき、それは私も賛成する。恋愛の対象が同性の人がいても構わない。

 

妻や娘が読むかも知れないという事を承知で書くが私も男、レンタルビデオ店のアダルトコーナーに入ったことも当然ある。入ってみると分かるのが普通の(?)AV以外にいわゆる熟女やロリコンなど多様な嗜好のものが結構多いことだ。

 

数ある性的嗜好の中でLGBTは声高に権利を主張出来るようになりつつあるのにその他の嗜好を持つ者は未だに口を閉ざさざるを得ない環境に置かれている。不公平ではないのか。どちらも同じ性的倒錯者と思うのだが。

 

まだ自治体レベルだが同性カップルに対して一定の権利を認める事例も出ている。一方で女性の結婚できる年齢が16歳から18歳に引き上げられた。おかしくないか。真剣な恋愛をするのに年齢なんか関係ない筈だ。

 

多様な趣味、価値観を認めることは大切だがやはり大多数の人から外れた人嗜好の人は一歩外に出たら世の大勢に合わせる努力をして欲しい。そうでなければ悪戯目的で女子トイレや女風呂に入ろうとする奴がきっと出てくる。それはあなた方の為にもならないだろう。

 

 

 

 

逸失利益

また出た統計の落とし穴を悪用した某保険会社CM。どこの会社とは言わないが。

「65歳以上の3人に1人は認知症

まともな会社がこんな事を言っていいのか。私は今62歳。という事は3年後には33%の確率で認知症になっているのか。普通に考えればそう勘違いしてしまわないか?

 

よく聞く「2人に1人はガンになる」同様、善良な小市民を怖がらせるような広告は止めて欲しい。そんな事を言っている一方で「人生100年時代に向けた備えを」。

 

もう訳が分からない。我々は長生きするの?早く死ぬの?そもそも100歳まで生きる人ってどれ位いるの?

 

 

交通事故で失われた命の値段に格差はあるのか。

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4618/index.html

最初に断っておきたいのは、この判断を下したのは加害者が入っている保険会社であって、彼らの仕事は少しでも支払額を抑えること。従って彼らは職務を忠実にこなしているに過ぎないということだ。けして彼らが非情とか人間味がないということではない。

 

前にも書いたが私が事故に巻き込まれた時も最初に保険会社から示された過失割合は7対3だった(最終9対1で決着)。

 

さて首題の件であるが逸失利益という考えがある以上仕方ないのではないか、と言うのが私の考え。

 

松本清張氏は戦後ナンバーワンのベストセラー作家だがデビューしたのは40歳を廻ってからでそれまではいくつものアルバイトを転々とする貧しい暮らしだった。清張氏は書いている(記憶なので若干の間違いがあるかも知れない)。

「今私が事故の被害に遭えば普通のサラリーマンの何倍もの莫大な賠償金が入るだろうが作家になる何年か前に事故に遭っていたら雀の涙ほどの賠償金もなかっただろう。」

 

かなり以前中国の鉄道事故に修学旅行中の日本の学生が巻き込まれ多数の死傷者が出た。最終的にどんな決着になったのか知らないが当時のワイドショーを見ていた記憶では日本人死亡者への弔慰金として最初に提示された金額が20万円前後だったように記憶する。そんな馬鹿な、とその時私も思ったが中国人の犠牲者への弔慰金は数千円だったと聞き、何とも言えない気分になったものだ。

 

今回は身体障害者逸失利益が健常者のそれに比べて少なく評価されたのが悔しい、というその気持ちは分かる。でも先程の松本清張氏ではないが一般人の間でもその収入によって賠償金が大きく変わるのも事実。大会社のトップとホームレスで人間としての価値に何の違いもないと言っても始まらない。

 

思い出すのは1985年の日航ジャンボ機墜落事故。あの時マスコミはこぞって誰の賠償金が一番多いか推定額まで書いていた。確かハウス食品の社長で云億円ではなかったか。

 

当時のマスコミも随分無遠慮だが読者側からもそれ程の反発もなかったのではないか。

 

勿論、当時の方が良かったとは言わないけれど。

 

見苦しい老人にはなりたくない②

私の両親は勿論戦中世代だがふたりとも田舎生まれだったので空襲で火の中を逃げ回った経験などはないようだ。食料も特に母親など農家だったので米や野菜と高級な肉を交換して欲しいという人が引きも切らず、却っていいものを食べていたとか。

 

今、農業は深刻な後継者不足に陥っている。近い内に訪れるかも知れない各種天災、食料危機になったら農家ほど強い者はいないと思うのだが。

 

 

晩年になればなるほど沢山の録音を為した指揮者はカラヤンだけではない。ここで名前を挙げても殆どの方は知らないだろうし、興味もないだろうが遺族に多くの財産(著作権料)を残したかったのだろうか。そんな考えがあったとしても何の不思議もない。

 

先日瀬戸内寂聴さんが99歳で亡くなった。瀬戸内さんは数少ない例外と思うが、最近目につくのがかなりの高齢になってからやたらと著書を刊行する人が多いことだ。いや、どれだけ多くてもその内容が新鮮で新しい示唆に富んだものであれば構わない。困るのは内容は殆ど変わらないのにタイトルだけ変えた書籍を粗製乱造する人が増えていることだ。特に女性に多いように思う。

 

彼女らの言い分、理屈は大抵ワンパターンだ。

「私らの若い頃は食べるだけで精一杯だったからそんな事に悩んでいる暇はなかった。」

「済んでしまったことを思い悩むのは時間の無駄。そんな暇があれば身体を動かしなさい。」

そりゃそうでしょうよ。こんな風に言われてしまったら一言の返す言葉もない。その前にこの世の中に悩みなんてものは存在しないだろう。

 

苦労すること、努力することは尊いことだとは思うがそれはけして他人にひけらかすものではないし、ましてやお前の悩みなど私の苦労に比べたら、などと言ってしまったらその人の価値も地に落ちる。

 

驚くのはこれらの粗製乱造された書籍の多くがベストセラーになり、レビューでも絶賛されていることだ。日本人は余程叱られ好きの人が多いらしい。

 

私ももうすぐ前期高齢者の仲間入りだがこんな「醜い老人」には絶対なりたくない。