林真理子さん日大理事長に内定

私が今まで見たあらゆるジャンルの番組でもっとも印象に残っているトップ5には確実に入るのが吉本新喜劇の大看板だった岡八郎さんがリハビリから舞台復帰に至る模様を描いたNHK「もういっぺん笑わしたる」だ。

 

弟子のオール巨人さんが献身的にバックアップ、ラストの岡さんが無事舞台を終えた袖で感涙にむせぶ巨人さんのシーンには何回もらい泣きさせられたか分からない。

 

そんな敬愛する巨人さんだがこれはいただけない。

https://biz-journal.jp/2022/05/post_298572.html

もし内容がこの本の通りだとしたら、とろサーモンは勿論、彼らに票を投じた審査員にも失礼だ。

 

 

林真理子氏、日大理事長に内定。https://www.yomiuri.co.jp/national/20220602-OYT1T50012/

 

正直言えば日大がどうなろうと知ったことではない、というよりあんな腐った組織に1円たりとも税金を使って欲しくない、早く潰してしまえ、と思っていたが林真理子さんがOBと知って多少なりとも考えが変わった。

 

と言いながら林真理子の作品はほんのひとつ、ふたつ読んだだけ。彼女のことは週刊誌のエッセイでファンになった。何と言っても多くの人が思っていても口にし難いことをハッキリ言ってくれるから読んでいて痛快だ。有名なアグネス論争ではいきなり子供をテレビ局に連れて来て託児所がない、日本は遅れているとヒステリーを並び立てたアグネス・チャンにいい加減にしろと嗜めたし、人種差別問題を持ち出した英国のメーガン妃にも誰にも反論出来ない理屈を言うのは卑怯だと断罪した。

 

私個人的には「雅子様に決まって本当に良かった」や「結婚して一番嬉しかったのは親戚が増えること」という言葉が大好きだし、印象に残っている。

 

記事にもあるように日大の改革には大変な抵抗もあるだろうがそんな連中、是非実名入りでエッセイに書いて欲しい。私が許す。

 

地獄の運動会

今は運動会を春に行う学校もあるらしく、息子が今年社会人デビューした小学校も5/29に行われたとのこと。

 

小中高の12年間36学期、一度の例外なく体育が5段階の2だった私が運動会をどう思っていたか、今更言うまでもあるまい。私の言いたいことはこの嘉門達夫さんの歌が100%、いや120%表現してくれている。

 

歌は動画の2分少し手前から。

https://youtu.be/v_tF-8BTOxk

3分55秒辺りで音がとぎれるのは元の歌詞が「大きな地震やってこい」だからで、さすがに今となっては流しにくいだろうが、そんな理由だけで埋もれてされてしまうのは余りに惜しい名曲で私はこの一曲だけで嘉門達夫の名前は永遠に不滅だと思っている。

 

嘉門さんと私は同い年(学年は嘉門さんがひとつ上)だが、この曲もひょっとして私のこと調べた?と思うほど当てはまることばかり。信じてもらえないかも知れないがクラウチングスタートを試みたのも私と同じだ。心境も全く同じ。徒競走で勝てないと確信した私はどうせ負けるなら慣れないことをしたからだ、という言い訳を作るためにクラウチングスタート(当然その頃はそんな名前は知らない)に挑戦、見事第一歩目で転ぶという失態をしでかし予定通りビリになった。

 

私がそんな企みをしたのは何と幼稚園時。その点では嘉門さんを上回っている?珍しく参観に来ていた父親が晩年までその話題を口にしていたから私も忘れる暇がなかったのだ。そして、これが私の人生で一番古い記憶となっているのである。

笑いは進歩している?

今はテレビなしの人生など考えられない位どっぷりの生活を送っているが、そんな私も全くと言っていいほど接触していない時期があった。1982年の就職から1985年秋にアパートで一人暮らしを始めるまで。何しろ社員寮が相部屋でテレビを置くスペースなどなかったから仕方ない。期間にして僅か3年余りだがその間にもいくつかの大きな出来事があり、私の場合何と言っても秋ひとみさんがひっそりと引退していたことが大きいし、箕島高校が全国トップクラスの強さを誇っていた最後の輝きを見られなかったことは未だに痛恨事だ。明徳義塾戦、吉田高校戦など星稜高校戦に匹敵する試合をスコアでしか振り返ることが出来ないのは如何にも残念だ。

 

それと、これは後年分かった事だか私はダウンタウンの漫才をリアルタイムで見ていない。多くのM-1出場者が優勝するより松本さんの採点が高い方が嬉しいというの程の圧倒的な影響力だけでなく、香川登志緒さんのような演芸界の大御所までもが「漫才に革命を起こした。」と評したその芸に接する機会がなかったことは残念だ。

 

勿論今は配信万能の時代、見ようと思えばいくらでも動画は上がっているだろうが私は一本も見たことがない。「歌は世につれ世は歌につれ」と言うがお笑いも同様、やはり時代に応じた流行り廃りがある。だからダウンタウンの昔の漫才を今見て(皆が言うほど)面白くないじゃないかとと思ってしまう可能性もある。何となくだがそれが怖い。

 

 

志村けんさんが亡くなって2年になるのか。

「ドリフって仲いいんですか」と聞かれ…加藤茶、仲本工事、高木ブーが明かした“志村と長さんの本当の関係” | 文春オンライン

 

この記事は大変面白いのでそのまま読んで頂くとして、ではドリフの笑いはどうだろう。毎週日曜日夜にBSフジで放送されているが意外なほど古びて感じられない。

 

ドリフの笑いとその後の笑いの一番の違いは何か。ドリフの笑いはけして他人を傷付けない。一応親分(いかりや長介)は居るが最後は必ず子分にやり込められる。こう考えるとどこかチャップリンの映画にも通ずるものがあるようにも感じられる。チャップリンもいかりやさんもリハーサルの厳しさは今でも語り草になっているが、自らが笑い者になる自虐ネタという点でも共通している。

 

翻って今のお笑い界、タモリ、さんま、たけしのお笑いビッグ3っていつまで言わせておくつもりか。この3人に加えて、松本、浜田、太田、上田、内村、石橋、木梨・・・。星の数ほど芸人が居るのに誰か下剋上やってやろうという者はいないのか。上に挙げた顔ぶれは今や下からのヨイショだけで地位を保っているだけだからその気になれば不可能ではないと思うのだが。

 

今、自身の実力だけでその地位を保っているのは上沼恵美子さんくらいだと思うが。

 

 

ケチなのか浪費家なのか

一体、私はケチなのか浪費家なのか。スーパーの野菜の値段が数十円、いや、十円違うだけでしばらく不眠になるほど落ち込むのに高価なものになると驚くほど大胆だ。今、自宅には妻が通勤に使っているもの、もうすぐ娘に譲る予定のもの、専ら私が乗るミニバン、そして白浜に住む息子に譲ったものと私名義の車が4台あるが何れも買おうと思い立ってから実際買うまでに1ヶ月もかかっていない。更に言えば4台とも前の車が壊れた等、必要に迫られての購入ではない。購入の間隔も友人に比べると短い。友人は何れも10年以上乗っているのに私の買い替え(買い増し)は平均するの7年。駄目押しで決定的な事を言うと「私は車が趣味ではない」。

 

自身の過去を振り返ると自分はむしろ趣味の出費に慎重だ。コロナになってここ2年ほどはご無沙汰だがそれまでは月1回ほど大阪に行っていた。目的は古書店、中古CD店、そして日本橋(オーディオ)。

 

中古だから高いと言っても千数百円、そんな金額の買い物の決心が付かず帰って来てから大反省、子供に電車代を出すから大阪に行ってくれと頼んで呆れられたのは一回や二回ではない。

 

そんな私がこの度またテレビを買ってしまった。勿論故障や不具合ではない。今回も漠然と欲しいなあ、と思って1週間も経っていない。機種名は秘するが画面の綺麗さ、音の良さに感動している。

 

作曲家のブラームスが世界で初めての録音レコードを聞いて「もし目の見えない人が聞いたらここに歌い手がいると思うだろう。」と言ったというが、我々も19-20インチのブラウン管テレビからいきなりこんな大画面テレビを見れば「もう映画館は不要。」きっとそう思ったことだろう。私はラ王が出た時ももうラーメン屋は不要と思った。

 

話が脱線しそうなのでここまで。

 

 

 

 

 

ハネムーン

問題。ハネムーンサラダとはどんなサラダ?

答えはレタスだけのサラダ。理由は

レタスアローン=Let us alone.

分からない人はパス。

 

少し前(と言っても私たち初老の少し前は平気で20年前だったりする)、新聞で読んだ国際線フライトアテンダントさんのインタビューが忘れられない。

「昔と今の新婚カップルで何か違いはありますか?」

「そうですね。昔は窓側の席には大抵男の人が座っていました。処が何年か前から女性が窓側に座ることが増えました。でも今は男性、女性特に差はないですね。」

 

「ただひとつ違うのは前はおしぼりでも飲み物でも通路側の方がふたつ取って相手に渡すのが殆どでしたが今はカップルでもひとつずつ取ることが多いですね。」 なるほど。

 

コロナで海外旅行が遠ざかって久しい。私は歳のせいか出不精(デブ性ではない)になってしまったが、妻は死ぬまでにイタリアだけは行きたいそうだ。私はどこか1箇所といえばピラミッドを見たい。どこかイタリアとピラミツドを巡るツアーはないだろうか。

 

イタリアは元々ハネムーンで行く予定だった。旅行会社の名前は忘れたが我々の理想通りの行程のツアーがあり そこにはイタリアも含まれていた。処がそのツアーが定員不足で挙行出来なかったのだ。結局行ったのはJTBのパッケージツアー。料金はひとり418千円。これはハッキリ覚えている。自分で出したからだ。松下電器の社員割引で5%引いてくれた。大企業にいるとこんな特典も馬鹿にならない。

 

ツアーと言っても新婚旅行専用のパックなんてものはなく、もし我々以外に新婚がいなければ目立つなあ、と話していたがその心配は無用だった。大安日曜日の翌日出発、しかもメインの行き先がドイツロマンティック街道となれば20組ほど居た旅行客で一組以外は全て新婚だった。この一組だけの旧婚(?)カップル、親よりは若く見えたので当時40〜50歳だったと思うが、これが素晴らしいご夫婦だった。

・名所、絶景スポットではすすんでカメラマンを買って出てくれる。

・バスや列車、レストランなどでどうしても隣同士で座れない時は率先して離れて座ってくれる。

・団体の記念写真ではすすんで後方に下がってくれる。

 

旅行に来ていたカップル全てが「我々も将来あんな夫婦になりたいね。」と思ったに違いない。あれから30数年、我々夫婦は果たしてあのような夫婦になれているだろうか。同じことが出来るだろうか。正直に言うと10〜20年前なら出来たと思うが今は分からない。

 

自戒を込めて言うが60を過ぎて却って頑固になっている。新婚さんはこれから何回でも旅行出来るが我々はそうはいかない!と考えてしまいそうな気がする。

 

そんなことに気付けているだけまだマシだ。そうしておこう。

 

 

 

もはや神の域?

子供の頃から計算が得意だった。小学2、3年の時には「計算の神様」という称号を担任の先生から貰っていたほど。そろばんなんかやったことはないが二桁×二桁の計算なら瞬時に回答出来る。小学生時から出来た。残念なのはその後50年間技量が上がっていないことだ。もっと研鑽を積んでおけばギネスブックに載っていたかも知れない。

 

私がこの特技を友人に言うと例外なく疑われる。そこで計算機を渡して自由に問題を出してもらい私が回答すると2、3問でもうエエわとなる。登山もそうだ。私が富士山に登頂したことがある、と言うと皆「嘘抜かせ。」と疑う。それなら写真を見せようかと言うと、もうエエわとなる。人間誰しも自分より優れたものには目をつぶりたいのだろう。

 

手相は変わると聞いてきたが、そんなことはないだろうと思っていた。手相が変わるのなら指紋も変わるのではないか、そうなると警察が困るではないか。

 

処が手相は変わるのである。私の両手に神秘十字線があることは前から分かっていた。それだけでも十分レアな相らしいのだが、最近ふと見ると仏眼相も出ている。しかも両手。神秘十字線に比べるとやや線の明瞭さに欠けるが以前なかったことは間違いない。

 

https://spicomi.net/media/articles/3039

このページによると両手にこの相が揃うのは1000人にひとり位の確率だとか。もはや神の領域に入ったのか、自分では分からないが後光が指しているのかも知れない。そう言えば最近、外ですれ違う人が私のことを崇拝の眼で見ているような気がする。自分では意識していないがオーラが出ているのだろう。勿論、私の手相ならいつでもお見せしますよ。

 

えっ、もうエエわ?

 

 

文明が文化を凌駕する?

ホチキス、ジープ、エレクトーン。これら全て特定の会社の商品名である。一般名称はホチキスはステープラージープは・・・各自調べてくれ。

 

40云年前ソニーが売り出したウオークマンもそのひとつ。一般名称はヘッドホンステレオという。だから松下のウオークマン、とかナショナルのウオークマンなどと言われるのは非常に心外だったし、悔しかった。

 

ソニーがウオークマンを売り出した丁度その頃、私は正にヘッドホンステレオを製造する録音機事業部にいたのだがその時点ではあまり危機感はなかったように記憶している。ある人は「あれは音楽を聴く音質ではない。」と言い、またある人はウオークマンを手に持って揺すりながら「こんな風に揺すっても音飛びがしないのは音質重視で作っていない証拠だ。」と言った。その頃音楽といえばスピーカーに対峙して真剣に聞くもの、とまでは言わないまでも家のテレビやラジオに耳を傾けるもの。街を歩きながら聴くなんて想像すらしていなかったのだ。

 

処が結果は皆さんよくご承知の通り。ウオークマンは空前のヒット作となり、各社慌てて類似商品を作ることになった。満を持して松下が売り出した商品は(CMにサザン・オールスターズを起用したくらいだから本気度が分かる)その名もナショナルウェイ。今は社員でも覚えている者は少ないだろう。

 

 

松下電器音響グループの入社式で担当の藤岡取締役はこんな挨拶をされた。

「昔から日本人は画質にはあまりこだわらないが、音にはこだわる人が多い。だから君達の活躍するフィールドは限りなく大きい。」

 

確かに古来日本人にはそんな側面があった。虫の声やせせらぎの音、そよ風が草花を揺らす音も風流の楽しみのひとつとした。我らがオーディオの世界でも目標は「目の前で奏者が演奏しているような」音の再現であった。反対に画質に関してはあまりリアルだと気持ち悪がられ、絵画でも日本画では写真のような精緻な画は好まれなかった。

 

ところが今はどうだ。情勢が全く逆転してしまった。画質進歩の詳述は省くが、音質はむしろ退化しているのではないか。今更になってLPレコードの音が一番良かったって、一体今まで何をやってきたのかと言いたい。

 

何度も書いているが我々世代が中学、高校に進学した時の欲しいもののトップはステレオだった。実際私の友人の殆どもそれなりのコンポを所有していた。だが今でもオーディオが趣味だという者は一人もいない。そればかりか「音なんか聞けたらいい。」などと言う始末。情けない。

 

確かにあの頃と違って今は動画もある、ゲームもある、ネットサーフィンもする、音楽ばかりに時間は割けないかも知れない。今の若い人はながら聞きが当たり前だろう。だが思い出して欲しい。音楽を聴く薬師丸ひろ子さんの眼から流れた涙にキュンとしたことを。我々は真の意味での音楽の力を知る最後の世代かも知れない。