小学生時代の遊び

「(コロナインフルについて)高齢者と持病のある方は特に注意とのことですが何歳くらいから気を付けたらいいのでしょう?」

「そうですね。やはり50代後半以上の方は充分注意してほしいと思います。」

トホホ。立派な高齢者か。

 

小学生時代の遊びで一番熱心に取り組んだ(?)のは釣りである。

海釣り、川釣りもやったが、一番よく行ったのは地元のお城の堀。

えっ。禁止されていないのか? 勿論、当時から既に禁止されていた。

(そういえばいつも一緒に行った仲間に今や県警のかなりのお偉いさんがいる。何かあったらこのことをネタに無理を聞いてもらおう。)

 

だから、不定期に見回りの巡視員が来ていた。我々も何回か出くわした。噂では釣り道具一式没収という痛い目に遭った連中も居たようだが、幸い我々が出会ったのは優しいおっちゃんばかりで、せいぜい校名を聞かれるか(皆ばらばらの校名を答えたので呆れていた。よく怒られなかったものだ。)、「鯉が釣れたら放してな。」と言われたくらい。残念ながら鯉は一匹も釣れず、もっぱら鮒ばかりだったが。

 

餌は色々試したが手間・値段の点からうどんを使うことがほとんどだった。そう、市販のうどんをそのまま。(ずっと後年、再度うどん釣りを試したことがあるが、全く釣れなかった。このことについては又触れる。)

 

今思えば釣れた鮒はそのままリリースすればよかったのだが、何故か皆持ち帰った。

そのころ自宅に池(日本庭園のような本格的なものではなく、ブロックで囲んで内側にセメントを塗った半畳ほどのもの)があったので、一緒に行った仲間、皆うちに持ち込んで勝手に放していった。可哀そうに元々いた鯉は居候に母屋を乗っ取られた主のように隅に追いやられていた。さながら、鮒の養殖場の態だった。

 

これだけ、多くの数がどうなったか。当時、理科の授業で「鮒の解剖」があり、多くの鮒を供出し感謝された。(鮒の解剖についても後日触れたい。)

 

それでも、まだかなりの数残っていた鮒と元々飼っていた数匹の鯉との別れは突然訪れた。一泊二日の家族旅行から帰って自宅に着くと何やら臭い。それも普通の臭いではない。ふと玄関前にあった池を見ると、全部の魚が白い腹を見せてこと切れていた。

えっ、何故?

 

理由はすぐに判明した。父親が家を出る前、全部の電源の大元をオフにしていたのだ。池には24時間ジェット放水しており、それで酸素補給、換水を行っていた。だから明らかに過積載の鮒も鯉も元気に生き続けていてくれた。それが断たれたのだからひとたまりもなかっただろう。死んだ魚の始末はどうしたのか。まったく記憶にないのである。ただ、それ以降うちの池に水が張られることはなかった。

 

大量殺魚罪の業を背負った父親は今年七回忌だ。お城の堀に人面魚が泳いでいたら生まれ変わりかもしれない。