体重変遷

今は立派なメタボ体型の私もかつてはYA体(痩せ気味)の服を着ていたことがあったと書いた。今から40年以上も前、高校2年の頃だ。

 

もっともこれは何か理由があって痩せたのではない。身長の伸びに体重が追い付かなかったのだ。高1から高2の2年間で6-7センチ伸びたと思う。それが証拠に高3の受験勉強時期には早くも太り始めていた。身長の伸びはストップしたが。

 

大学に入った頃はまだ60キロ代だったと思う。増え始めたのは20歳になり、酒の味を覚えてから。と言ってもまだまだアルコールよりご飯を食べたい時。70キロを大きく超えることはなかった。

 

肥満の第2波は会社に入ってから。配属された事業場の最寄りは京阪電車土居駅という各停しか止まらない小さな駅だったがそこは大阪、呑む店には困らなかった。週に2-3回は行っていた。特に思い出すのは老夫婦で経営している居酒屋。天ぷらの盛り合わせを頼むと人生幸朗師匠そっくりの大将が割れ鐘のような声で「兄ちゃん、出汁にするか、ソースにするか?」と聞いてくれる。ソースは机上のウスターソースを自分でかけること。これも上手いのだが出汁を頼むと店で炊いているおでんの汁を掛けてくれる。これがまた美味い!寮が同じく京阪電車の大和田という駅で間には急行も止まる門真市駅や松下の本社のある西三荘駅もあり、その辺りの居酒屋まで探検することもよくあった。「家で飲むより安い店」を標榜する店とか王将の隣で王将より安い店と看板に書いている店とか思い出は尽きない。

 

この頃は寮住まいで欠食届けは2日前までの提出。出していなければ食べていようといまいと食事代を徴収される。ケチな私だから帰ってまた夕食を食べる。これで太らない訳がなかった。

 

それでもまだ若くて代謝も良かったのだろう、体重も72,3キロをずっとキープしていた。正月休みとかで思い切り太っても75キロ。BMIで言えば標準以内。その体重は50代後半までずっとキープ出来ていた。

 

第3波は思わぬ処からやってきた。以降次に続く。