LINEで送られてくる孫の写真に
「この子らの結婚式に出たいなあ。」
と呟いた。すると娘から
「高校生で結婚させよか?(笑)」
と返信が来た。
孫は5歳、2歳、0歳でいずれも男の子。普通に考えて結婚は早くて20年以上先だろう。ということは私は80代半ばを過ぎている。生きているかどうか疑わしいし、もし生きていても結婚式に出られるような身体かどうか。
そうか、この可愛い孫らの結婚式には出れないのか。死ぬこと自体は少しも怖くないが、ちょっぴり切ない気持ちになった。
前にも書いたが梶原一騎は本当に天才だと思う。昔見たタイガーマスクにこんなシーンがあり、50年以上経った今でも思い出すと涙が溢れてくる。
貧しい身なりの子供(恐らく少年時代のタイガーマスク)が寒空の下、街なかを歩いている。パン一枚買う金すら持っていない。思わずしがみついたのはひとりのおじさん。処がこのおじさん、少年をシッシッあっちへ行けと払い除けてしまう。またしばらく歩いて今度は見るからに裕福そうなおばさん。するとそのおばさん「まあ、可哀想に」と幾許かの金を少年に与える。
「人間にも色々あるんだな」そう思いながら少年が帰路につく途中さっきのおばさんの家の前を通りかかる。想像通りの豪邸だ。
「今日街で汚い子供にしがみつかれて。」
「それでどうしたんだ?」
「決まってるじゃない。ほんのちょっとだけ金をやって追っ払ったわよ。」
夫婦の笑い声が聞こえてくる。
しばらくして、今度はおじさんの家の前。うって変わってオンボロ長屋。
「今日見るからに腹を減らした子供に金を恵んでくれって頼まれんだけどよ、家だってその日食べるのが精一杯だろう。何もやれなくて本当に可哀想なことをしてしまった。」
おじさんがすすり泣く。
いかん、また涙が。・・・
この辺りの心理描写、人間性の裏表の残酷さ。それを描く梶原一騎の巧みさ!
子供に「本当に死にそうなくらい喉がカラカラになったとき1番おいしい飲みものは何だと思いますか?」と聞く。我々世代は例えそんな経験をしていなくても正解は水だと答えられる、想像出来る。
その問いに対して子供達が揃ってある清涼飲料水の名前が挙げるようになったのはいつからだったか。多分我々とはそれほど離れていない年齢だった。
先のタイガーマスクの話も同様、心から感動、共感してくれるのはどの世代までだろうか。パン一枚買う金がない、貧乏長屋という言葉にリアリティを感じるのはどの世代までだろうか。
断わっておくが私自身もそんな経験をした訳ではない。ハッキリ言って中流以上の生活レペルだったとは思う。でも私達の子供時代は継ぎ当ての服を着ているのが当たり前だった。夕食のカレーライスに赤いウインナーが添えられて出た日の日記に「ご馳走は日を分けて出して欲しいものだ。」と書いて母親に叱られた。当時はカレーライス、ウインナーソーセージどちらか一方だけで充分な晩飯のおかずだった。トイレットペーパーなんて無かったから新聞紙や電話帳を使っていた。勿論ティッシュペーパーもなかったから皆服の袖で鼻水を拭いていた。
3.11の「世界ふしぎ発見」で日本とトルコと友情物語が取り上げられた。
https://www.tbs.co.jp/f-hakken/onair/230311.html
物語の起源、前にも触れたエルトゥールル号事件が何故かくもトルコの人の胸を打ったか。それは大島の人々が献身的に介護したからだけではない。自分達のために取っておいた残り少ない食糧を、燃料を彼らのために惜しげもなく放出したからである。
映画「海難1890」にこんなシーンがあった。うろ覚えなので間違ってたら失礼。助けたトルコ船員が食べている串焼きの貝の身をうっかり地面に落としてしまう。見ていた女の子が拾って食べようとするが父親がそれを取り上げて付いた砂を吹き落として船員に戻す。そう、子供ですら食べるものを我慢して船員達に振る舞っていたのだ。