怖い経験

チャップリンが1932年に初来日したとき、もしかすると515事件に巻き込まれていたかも知れなかったというのは有名な話だ。

 

普通、そんな危ない目に合えば日本を嫌いになりそうなものだがチャップリンはそうならなかった。晩年のチャップリンに面会した数少ない日本人のひとり、黒柳徹子さんが1972年アカデミー賞の受賞式でチャップリンに会った際「日本の人達にメッセージを下さい。」と挨拶するとチャップリンがひと言「ジャパン!」と言うや顔がみるみる赤くなり「日本のことは忘れない。私は皆さんを心から愛していることをお伝え下さい。」

 

でも我々凡人はトラブルに巻き込まれたり、危険な目にあった所にはもう行きたくないと思うのが普通ではなかろうか。私は幸い危険というほどではないが一度だけ盗人に出会ったことがある。1982年ヨーロッパ旅行中での出来事。どこの町か忘れたが同じ日本人旅行者が声を掛けてきた。「日本の方ですか?」「はいそうです。」友人が答え、ひとしきり話したあと私の方を振り返り「失礼ですがこちらの方はどちらの方ですか?」どうやら外国人と思われたらしい。いやいや私も日本人ですよ、と大笑いになったが一体どこの国の人間に見えたのだろうか。確認しておけばよかったな。

 

まだ日本人旅行者の少ない時代、今まで廻って来たルートやこれからの予定、色々情報交換をした。ルーブル美術館に行くか聞かれたので勿論行くつもりだと答えると必ず泥棒がいるのでポケットやカバンの見えるところには何も入れないよう教えてくれた。

 

今なら足がすくんで行くことをためらうかも知れないが怖いもの知らずの年頃、何とかなるだろうと割り切れたのは3人連れだったことと、泥棒と言っても女性で無視して通り過ぎれば追いかけてくるような事はないと教えてもらえたから。

 

ルーブル美術館の前に近付くと果たして泥棒はいた。現地の人間にはけして手出しはしないが旅行者と見るやすーっと近付いてくるや、いきなりポケットに手を入れてくるのでびっくりした。アドバイス通り無視して通り過ぎざまどんな奴かと顔を見るとアジアか中東系の小柄な女性。年齢までは分からないがあの無表情な顔、私は自分の仕事をしているだけだと言っているようなあの顔は40年経った今でも忘れることができない。

 

 

https://toyokeizai.net/articles/-/666953?

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岸田首相は件の爆弾事件によって和歌山のことをどう思っているのだろうか。というより首相から見たその地方、その地方の手際、不手際はどう映るものなのだろう。例えば日本という会社の社長が岸田首相とすれば今回の事件は和歌山工場で不良品が出たようなものか。となれば社長は被害者でもあるが責任者でもある。今回は幸い軽い怪我人で済んだが死者や重傷者が出ていれば責任の一端は首相にもあると言えるのだろうか。

 

安倍元首相の事件では警察庁長官が辞任し、奈良県警の幹部にも懲戒処分が下った。然るにどんな凶悪な事件が起こっても被害者が一般国民ならそのことに対して警察が責任を取るなんて聞いたことがない。「地域の安寧を守るのが警察の仕事」とはドラマの中だけの話なのか。

 

そんなことはどうでもよい。確か爆弾事件の容疑者は弁護士が来たら話すと言っていた筈だが何も聞こえてこないぞ。報道ではまだ何も話していないことになっているが又何か隠しているのではあるまいな。