嬉しいことと悲しいこと

突然死した人の葬儀に参列したことがある。朝起きて来ないので見に行くと冷たくなっていたらしい。私自身はあまり知らない人だったが職場の代表で香典を届けに行った。葬式には何回か参列したことがあるが、あれ程悲惨で、出ていて辛い葬式は経験したことはない。式の最後、出棺前の喪主(故人はまだ若かったので父親が務めていた)挨拶中に遺影を持って横に立っていた故人の奥さんが突然崩れ落ちた。膝から崩れるというのは本当にあるのだということを初めて目撃した。

 

当たり前だが亡くなった人の年齢や死に至った期間の長さで悲しさの度合いも全く異なってくる。若い人が突然亡くなるのは最大の悲劇だし、反対に長年介護した老人が亡くなった時は・・・。やめておこう。

 

ペットも人と同じ、と言っても人間ほど長生きする動物は滅多にない。例えば犬や猫なら10数年が平均寿命、有名なたま駅長も15歳で天に召された。猫の15歳は人間なら80歳位と言うが実際触れ合えた期間は15年に変わりはない。中3か高1の子供か亡くなって悲しくない筈がない。家の愛猫は12歳だがいつか別れの時が訪れるのかと思うと堪らない気持ちになる。「男が泣いても良いのは2回だけ。産まれた時と親が死んだ時。」とは昔からある言葉だが(それにしてもこの親とは父親なのだろうか、母親なのだろうか?)、父親が亡くなった時も娘ふたりの結婚式でも泣かなかった私だが愛猫との別れは想像するだけで瞳が潤んでくる。

 

魚を飼い始めたきっかけは前に書いた。息子が金魚すくいの金魚を袋のまま放置していたので持って帰って来た以上責任を持ちなさい、とコーナンで飼育セットを買わせたまではいいが、いつの間にか世話をするのが私になっていた。あれから10年余、水槽も何回か変えた。魚も。

 

その今まで飼ってきた中で1番愛着を持って見守ってきたディスカスが死んだ。ご存知のようにディスカスは水質に非常に敏感な魚でちょっとした体調の変化がすぐ目の色や体色に出る。このディスカスもそういった波を何回か乗り越えて今まで飼ったディスカスの中では1番長く、そして1番大きく成長してくれた。それが・・・。

 

昨日、いつものように水槽に掛けている風呂敷を外した時には息も絶え絶えの状況だった。一昨日までは何ともなかった(ように見えた)のに。直ぐに水を入れ換え、温度も上げた。おかげで昨日1日は頑張ってくれた。そして今朝。

 

冒頭で人との別れは突然の方が悲しいと書いた。でも魚に関してはこれは当てはまらないようだ。メダカやネオンテトラのような小魚は前の日まで全く何ともなかったのに朝見たら死んでいたということが珍しくない。それなのにあまり悲しいという気持ちにならないのは何故だろう。安いから?いや、高価な珍しいメダカでも勿体ないという気はしても悲しいという気にはならないと思う。小さいからか?うーん。多少は関係あるかも。また次回考察しよう。

 

嬉しい出来事。今朝の折込チラシを見ていると懐かしい黄色の紙に赤文字のものが。そう、餃子の王将の割引チラシだ。何年振りだろう?コロナ以降、チラシがガクッと減った。あるスーパーは客の集中を避けるためこれからチラシは入れないと宣言した。どちらかと言うと新聞本紙よりチラシウォッチャーだった私は非常に寂しい思いをしていた。

 

亡くなった父親が王将の中華飯の大ファンで家族揃ってよく行った。隔週に1回は行っていたのではないか。3人の子供もまだ独立しておらずテーブルの上に乗り切らないくらいの皿が並んだ風景とみんなの嬉しそうな表情を懐かしく思い出す。

 

美味しんぼの中でも屈指の傑作「トンカツ慕情」にこんなセリフが出て来る。

「学生さん、とんかつをいつでも食えるくらいになりなよ。それがえら過ぎもしない、貧乏過ぎもしないちょうどいいくらいってとこなんだ。」

 

このセリフのとんかつを王将に変えても良いのではないか。

 

こんな王将の、しかも和歌山では味一番と言われる店の徒歩圏内に住んでいることは私の大きな自慢だ。