ブルース・リー

再放送の時代劇で目の覚めるような美人を発見した。秋ひとみさんにも匹敵すると感じた。ひとみさんの時と違い名前を調べるのに手間は掛からなかった。仁和令子さんという女優。他にどんなドラマや映画に出ているのだろう、ウィキペディアでそれを見る前に残酷な事実が突き付けられた。その時既に彼女はこの世の人ではなかった。私がその時代劇を見たのは2018年12月。彼女は同年の7月に60歳でこの世を去っていた。

 

今年はブルース・リー没後50年だという。https://www.oricon.co.jp/news/2285960/full/

 

燃えよドラゴン」が日本で公開されたのは1973年12月。ブルース・リーはその年の7月に亡くなっていたから日本のファンが彼を知った時と本人が亡くなっていた時の間隔は私が仁和令子さんを知った場合と全く同じだ。大きな違いはブルース・リーが既に亡くなっていることを日本のファンは皆知っていたことだ。

 

当時、「スクリーン」と「ロードショー」という2大映画雑誌があり、その時の内容に応じてどちらかを必ず買っていたので彼のその他の作品や主な経歴も知っていた。

 

当時和歌山市内の繁華街には何軒もの映画館があったので「燃えよドラゴン」も勿論封切直後に見に行った。(今は映画館はおろか、繁華街そのものがない。やれやれ。)

 

未完に終わった「死亡遊戯」を除けば彼の最後の作品となった「燃えよドラゴン」が何故日本の最初の封切作品になったのかは知らない。ただ彼の死因が麻薬の過剰摂取であるとか、ブルース・リーの心技体揃った最高傑作は前年の「ドラゴン怒りの鉄拳」と言われているということなどを予め知っていた(実際ダブルヌンチャクはこの作品でしか見られない)ので「燃えよドラゴン」を見た時は彼のアクションには充分驚かされながらも、不自然なまでに贅肉のない身体や頬がこけた顔は嫌でも薬物の影が感じられ、何とも言えない違和感があった。一緒に見に行った友人も「あんな身体、薬がないと無理よなあ。」と言っていたことを覚えている。

 

とは言え、「燃えよドラゴン」は初めて見る者には大変な刺激と興奮を与えた。当時の雑誌には映画館を出て来た男は皆自分が空手の達人になったかのような勘違いをしていると書いていたが私も映画館から出た時は体が軽くなり、その気になれば相手が2メートル位の大男でも顔面に飛び蹴り出来るような気になっていた。

 

「ドラゴンシリーズ」の殆どの作品で日本人は狡猾な敵役として登場する。その為ブルース・リーと検索すると反日とか日本嫌いなどのキーワードが続けて表示されることが多いようだ。今なら上映に反対する声が上がったかも知れない。でも私の記憶が確かなら50年前の初公開当時そのような声は上がらなかった。何しろこの頃の日本は西ドイツを抜き世界第2位の経済大国になった高度成長期。他のアジアの国が何を言おうと気にするような小心な国ではなかったし、実際悪い事をしていたのか知れない。

 

1973-74年と言えば中2から中3。やはり映画館で見た作品の記憶は鮮明だ。彼の作品はテレビでは何度も放送されているがやはり映画館で見るような圧倒的な満足感は得られない。今回のリバイバル上映にも多くの人が駆け付けて若いファンが増えて欲しい。